報道界隈にも「報道者責任」を義務化させたい

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ここしばらくの間のそば事案(森友、加計)だけを見ても、そして東京都の豊洲事案周りでも、報道を成す界隈の体たらくさというか責務の果たさなぶりというか、無責任ぶりが目に余る。まるで掛け金の要らないギャンブルをしているかのようにも見てしまう。

これは多分に「他人が言ってるのを伝えただけだから責任は無い」「報道の自由があるから問題はない」「ウソはいってないから別にかまわない」「言論の自由はどんな場合にでも最大限許容されるべきだ」「私達は正義」という理念があり、さらに中には「核心的利益が最優先なので何をしてもへっちゃら」という類のも見て取れる。

ただ、チップを出さなくても賭け事ができるギャンブルってのは存在しないし、そんなのはインチキでしかない。自由には責任が伴うもの。指摘されている通り、商品として情報を展開して報じている以上、製造者責任と同等の「報道者責任」が必要不可欠な感はある。というか、商売をしている以上、報道内容である情報もまた、商品なのだから、製造者責任と同じだと解釈しても問題はないのだけど。


誤解釈されがちだけど、指摘の通り報道は社会正義を受けてのボランティア、公的職種ではなく、私企業によるビジネスの一様式でしかない。で、ある以上、社会の公器とか木鐸なる大義名分を振り回し、しかもそれを多分に自らの益のために濫用している、その上展開した「商品」には責を取ろうとしないってのは、悪しき利権体系の末期的腐敗状態ではないかな、と思うのだけど。


社会公器を自称し、だからこそ得られる特権を使いたいのならば、相応の責務が求められる。当方が繰り返し言及している「分かりやすく、そして正しく」もそうだけど、指摘されている箇条書きもまた的を射ている。

今の報道、例えば冒頭で挙げたそば事案(森友、加計)で、どこまでこのチェックリストに合致しているかなと考えると......報道などとはとても呼べないよね。

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このページは、不破雷蔵が2017年5月27日 08:02に書いた記事です。

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