「長年携わってきた」「正義の信念で行っている」「意見を述べるためにあの行動をした」は内容の正当性・確からしさの担保にはならない

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先日の「国連の方からやってきました」事案でちょいと気になったこと。対象者が長年研究を続けてきた人だから、その人の語りは正しいので、国連云々は二の次で語っていることに賛同すべきだ、ウソを言っているとは思えないとのご意見を目にした。

この論調って昔からあるのだけど、特に震災以降に増えてきた、おかしな話、独善的な主張、いわゆるエセ科学的なものに大義名分付けというか権威づけ、正当性を持たせる方法論の一つとして浸透している感がある。

自分の意志を通すために会社を辞めて調査しているから、その人の調査内容は正しい。官公庁を辞めて独自の運動をしているので、その人は優秀だしやっている運動内容も正しい。数十年間研究を続け、その対象を愛していると主張しているから、主張している方向性は正しい。一見するとそうなのかなと頷いてしまいがちだけど、実のところ、それらはいずれも確からしさを担保するものにはならない。それが正しいものであった時に、評価のパラメータとして適用されるけれど、それ自身が確からしさの土台にはなりはしない。

いくら努力をしても、その方向性が間違っていれば、正しいものにはなりえない。どれほど一生懸命走ってもゴールの方向に向かっていなければゴールインはできないのと同じ。「これが私の考えた最強の方法」としてダイエットの方法として毎日たらふく大福食べていても、体重は減るどころか増えていくのと同じ。

これは肩書や経歴にも言える事。弁護士先生が語る法律関連の話がすべて正しいとはいえない。学者先生がその専門分野で語る内容がすべて正解とは限らない。正当性の上乗せがされるだけの話。

その辺りには注意が必要だな、と。

            

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このページは、不破雷蔵が2017年5月25日 07:37に書いた記事です。

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