ツイッターは意識表現のハードルを下げるツールである

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肩書や経歴、資格はその人物を精査する上での材料の一つでしかなく、それが絶対不可侵の権威を意味するものでは無い。どれほど素晴らしい過去、資格、履歴があったとしても、その内情、実態は正当に評価されねばならない。犯罪でつかまったり酷い事をしていたのがバレた人が「自分は偉いんだぞ、こんな資格を持っているんだぞ」と言い訳をしても、その行為がチャラになるわけではないってこと。評価判断される対象は肩書では無く、その中身、実行為なのだから。

ツイッターは利用が楽で文言も簡単に出力できる。言葉の露出、開示がスムーズにできるので、それこそ井戸端会議的な意思表示が可能になる。その分、自分の素が出やすい。一言二言ならば色々な内面の一局面だけかもしれないけど(たくさんの本音のうちの一つって意味ね)、それが積み重なることで、内面の実態がよく見えることになる。

権威や肩書にあった実情を披露してくれる人も多々居るけど、同時に指摘にある通り、世間一般受けしやすい肩書や経歴、著書からは想像ができないような中身をご披露してくれるのも少なくない。作品や肩書だけを見るのならばその中身は無視しても良いのだけど(クリエイター系は特に)、中の人も多分に絡んだ評価となると、やはり実情は大切だよね、そしてそれが良く見えるのは正しい取捨選択の上では良い情報となるよね、的な。


とりわけ新聞などの報道関係筋はこれに当てはまるかなあ、と。恐らくは身内、知り合い、信者的な対象にのみ言及していた内情を次々に述べ、披露することで、内面がよくわかるようになる。そしてこれまで権威とされていた、認識していたものが、単なるハリボテでしかなかったってのが分かってくる。例えば新聞記者とか、その語りの中身の信ぴょう性はどれほどのものがあるのか、その裏付けは......と考えると、新聞そのものの確からしさに何の裏付けもないということに気が付いてしまうのだな。

そしてこれは個人ベースに留まらず、組織や団体ベースでも言えることに違いない。

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このページは、不破雷蔵が2017年5月17日 07:51に書いた記事です。

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