紀伊民報のデマと、その後の対応と

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和歌山県南部の夕刊紙「紀伊民報」(本社・同県田辺市)が、東京電力福島第1原発事故の帰還困難区域で発生した山火事に関し、放射性物質の拡散を指摘するコラムを掲載したところ、福島県の被災者らから「風評被害を助長する」などの声が寄せられ、8日発行の9日付同欄で「心配をかけ、迷惑を与えた」と陳謝した。


問題のコラムは2日付1面の「水鉄砲」。東電元社員の情報を基に「放射能汚染の激しい地域では森林除染ができておらず、火災が起きれば花粉が飛ぶように放射性物質が飛散するという」と記述し、不安に応える政府の情報発信や報道が少ないことを批判した。被災者らから「不安をあおるな」などの意見が寄せられたという。


新聞記事はその信ぴょう性においてこれまでに無いほどの疑心暗鬼感の中にある。中でも治外法権的な扱い方を新聞側がしている社説やコラムの中では、新聞という公知能力を使ったチラシの裏的な内容が堂々と語られている。

で、その典型的な事例となったのが今件の紀伊民報のコラム。記事内で「東電元社員」と称する人物からの中身をそのまま紹介して裏付けも取らずに事実として伝え、それをトリガーとして煽り、社会糾弾を成している。その内容の不確かさに関しては上でツッコミされまくっている通り。

それに関して書き手自身は「間違ったことは書いてない。注意喚起だ。陳謝は騒ぎを起こして迷惑を受けた人がいる事に対するものだ」と逆切れ的な、開き直りと受け止められる反応。

これって悪質系のまとめサイトとどこが違うのだろう。

今件の紀伊民報のコラムとその後の対応は、新聞などの報道における基本姿勢に乗っ取ったものであるのと同時に、大きな問題点として留意すべきパターンに違いない。「少数意見であったとしても、自らの理念、確信的利益に近しいものを取り上げ、大多数の真実のように公知し、世間を扇動する。事実であるか否か、裏付け取りなど必要ない」「文句が来たら『こういう意見もあったから』と言い訳する」。それは論説や機関誌としては正しくとも、報道を成す新聞の上に掲載することが許されるのか否か。


ゴシップ紙的な、タブロイドのような瓦版。それへの先祖返り。あながち間違った指摘では無いどころか頷いてしまう。そして当事者は自分達が悪いことをしたとは鼻から思っていない。困った話には違いない。

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このページは、不破雷蔵が2017年5月 9日 07:32に書いた記事です。

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