「外遊」の誤解釈と、それを物書きや報道界隈の一部が積極的に成していることと

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先日もちょいと触れた「外遊」の件。少しでもそれっぽい、そして不特定多数に向けて発することで、その間違いに同意をして主目的である社会批判に流れてくれればありがたいと考えているような姿勢が、あまりにもあからさま過ぎて、ああこれが今の報道界隈や文筆家、ジャーナリストや知識人と称する人たちの一部における、問題の本質的な部分なのだなあと再確認しながら。

指摘の通り、本来為すべきことをなさずに、肩書や資格とは別のところにある、自らの行動性向の主軸を隠そうともせずに、肩書や資格を濫用して振る舞うその姿勢には、なりふり構っていられなくなったのかなあ、という感を覚えさせる。あるいは当人にとって、隠し事であるか否かの領域が分からなくなってきたのかもしれない。


色々とやりとりをしていた中で大よそ語られているけど、やはり【上から目線と王権神授説】で語ったような話に尽きるかな、と。それに加え、裸の王様とか象牙の塔状態になっていたのが、昨今の色々な可視化で暴露されるようになった、と。組織論における経年劣化的なものと、元々そのような体質だったものが、合わせて見えるようになったのが、現在の報道界隈の実情だと考えると、案外理解納得は出来たりする次第。

新聞社所属を掲げているツイッターアカウントの言動を見るだけでも、ずいぶんと「理解」はできると思うよ。あとは「社説」。いや、ホント、マジで。

            

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このページは、不破雷蔵が2017年5月 2日 07:59に書いた記事です。

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