「かもしれない」想定は必要だけどネガティブばかりは呪いの言葉に等しい

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直前の総菜周りの話に続き、新社会人に贈る言葉的なお話。未来に対する予想観測と、それに対する備えはいかなる時にも必要。保険概念もまさにその通りで、無策のまま突っ走るとそれが体現化した時に大打撃を受けてしまう。色々な可能性、選択肢を想起し、期待値を概念レベルで良いから算出し、最良のものを選び、また悪しきものの可能性への対策を講じておく。危険分散的な発想も似たようなものかな。学校で習うことはないかもしれないけど、必要な考え方。

一方で「良くないことが起きるかも、起きたらどうする」ってのはインパクトが大きいことから、その想起に捕らわれてしまうことがある。報道周りで何度となく触れている「ネガティブな情報の方が心をつかみやすい。命に直接関わり合いがある、リスクが生じやすいがために、本能的に気を寄せてしまうから」って感じのもの。本能故に仕方がないのだけど、それにとらわれ過ぎると足をつかまれて身動きが取れなくなる。鬱症状に陥る要因の一つがまさにこれ。

これを自分自身で無く他人にも向ける、というよりは他人に成していく人が結構いる。今回の指摘はまさにそれで、心が折れそうになるってのもその通り。


「もし良からぬことが起こったらどうする」ばかりの言はアドバイスでは無く呪い。ああ、なるほど、このような発想の仕方もありなのか。指摘では単一の言でとなっているけど、個人的には「よからぬことが」の言は色々な選択肢の中で一つの可能性としてあり得るとの想定の限りではあってもおかしくないし、逆に楽観論ばかりでは良くないと考えている。だからネガティブな可能性の指摘が多分になされる場合、それを呪いとして考えた方が良いと思う。

そして「未来の良からぬことを指摘する場合、それが体現化されないと自分の正当性を主張出来ない。だからその人は良からぬことが実体化するように呪いをかけている」という考えは、ああ確かにその通りだな、と。無論、それしか指摘をしなかった場合だけどね。......そういやいるよね、うん。

なので、自分に呪いをかけてくる人とは距離を置くべきだというのはまさに正論に他ならず。以前触れた「ツイッターでのミュートやブロック」とも似た香りを覚えるのだな。

            

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この記事について

このページは、不破雷蔵が2017年4月 4日 07:44に書いた記事です。

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