フェイクニュースと偏向・偏見報道の境界線はどこにあるのだろう

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米大統領選でメディアがこぞって推挙してきたサイドが落選してから、殊更に騒がれるようになった「フェイクニュース」という言葉。虚実情報をあたかも事実であるかのように伝えるニュース的な記事で、ソーシャルメディア経由で配信されるものを指しているようなニュアンスで、新聞やテレビなどの従来型メディアは定義し、それは良くないものだと叩いている。そして暗に、そんなものがあったから、多くの人はだまされ、大統領選挙では間違った投票をしてしまったのだと。

しかしながら複数の調査結果で、その定義に基づいた「フェイクニュース」が与えた影響はごく少数で、むしろ選挙結果は他の要因によるところが大きいことはすでに説明の通り。またその類のニュース的なニセ情報は以前から多数存在しており、いまさら何をいうのかという感は強い。

そして「フェイクニュース」の定義そのものも首を傾げてしまう。「作り手が虚偽だと認識したニセ情報で構築され、本物のように見せているニュース」と、イエロー・ジャーナリズム的なニュース報道、偏向・偏見による印象操作的な報道。違い、境界線はどこにあるのだろう。

「ニュース」とはそもそも公明正大中立であることを前提としているからこそ、昨今の「フェイクニュース」という敵を作ってテレビや新聞などのバッシングは生じているわけだけど、その定義を見返してみると、どれだけのテレビや新聞、雑誌などはフェイク(偽物)で無い「ニュース」であると語れるのだろうか。例えば印象や見せ方の観点で公正さを装っておきながら偏向を成していたのなら、それはやはりフェイク(見せかけの、公正なふりをした、だます目的の)ニュースに違いない。

米大統領選挙に限らずとも、不安ビジネスの色合いがますます強くなる報道界隈の姿勢を見るに、霊感商法やエセ医学商法とどこが違うのだろうという感はある。その見方でもフェイクなニュース、報道と見ても良いのではないかな。

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このページは、不破雷蔵が2017年2月22日 07:47に書いた記事です。

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