おまけに撮った、ついでに記録しておいた、ささいな物事が貴重な資料になる

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これは思わずうなづいてしまったし、資料を精査する上でも日々感じている話。普段から注目されている、目に留まりやすい特定対象物ってのは記録が残っているケースが多々あるのだけど、日常的な物事、造形などは、あまりにも当たり前すぎて、それ故に情報を残しておくことにまで頭が回らなくなってしまっている。日々の生活はずっと永久にそのまま続いていると錯覚し、だから記憶にとどめておこうって気にもならなくなるのだよね。

それであるがゆえに、そして今と比べて情報を記録しておく手段が少なく、取得ハードルも高かった昔の情報は、日常風景こそ得難いものとなっている。これはどのような国、どのような地域でも変わらない。

今ではフィルムカメラの方が少数派で、メモリがあればいくらでも写真が撮れるデジカメが多数派となり、一枚一枚を慎重に撮るって手法も一般的では無くなった感じがする。下手に撮るとフィルムがもったいないから気を付けてシャッターを押さねばなんて感覚、あまり無いよね。しかもフィルムカメラの場合、途中でデータ抽出云々ってのはできず、フィルムを使い切らないと現像してもらえなかった(撮ったフィルムは専門店に出して有料で現像してもらい、紙焼きの写真と元版となるネガフィルムを一緒に受け取る仕組み)。まさに「せっかくだから適当に周囲の写真を撮っておくぜ」的な感じ。でも今となっては、その「適当に撮った周囲の写真」の方が価値が出ている。

似たような話としては、昔のテレビ番組を録画したビデオテープでは、むしろCMの方が価値がある事例が思い起こされる。あるいは番組間の数分の短いニュースとかも、かな。これらもまた、当時としてもごく当たり前のもので、わざわざ記録しておく必要性を覚えなかった。でも確実に時は流れ、日常も変わっていく。色々な考察、検証の中では、その日常の確保こそが大切なのだな。

            

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このページは、不破雷蔵が2017年2月17日 07:15に書いた記事です。

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