マスコミ関係者が語る「物言えぬ社会」と投げ返される石と

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先行する【報道界隈が自認する自らの意義「社会に一石を投じた」を考え直す】と多分に関係があるのだけど。特にマスコミ、報道関係者がこの数年高頻度で口にするようになった「物言えぬ社会」。これに関してズバリ的な解説が行われていたので覚え書き。すべてがすべて丸ごと同意というわけでは無いけど、するりと理解できる、なるほど感を覚える部分も多い。「一方的に放言できたのが、反撃を受けるようになった」ってのは、先の「一石を投じっぱなしができたのが、池の中から投げ返されるようになった」ってのと同義ではある。


「今までやりたい放題だったのができにくくなったので愚痴ってるだけ」。ああ、まさにそのレベルの言動ではあるかなあ、という感は強い。文化を支え構築してきたとか、社会正義を胸にとかいうのも指摘の通り。

ソーシャルメディアは可視化を促進させる。これは間違いない。意思疎通のハードルが下がったのだから、それだけ意志を交し合え易くなる。ただしそれは同時に、自らの意思を不特定多数へ開示することにもつながる(LINEやイントラネット上のチャットならともかく)。その点でも可視化は促進された。当方が良く使う「報道内部の化けの皮がはがされた」とはまさにそんな感じ。大の大人が、しかも自らを律する紳士的な存在だと自負して止まない方々が、そんな子供じみた発想で言葉を紡いでいた、それがそのまま体現する形で仕事として世に向けて放っていた。

受け手側の「横の連携が無かった」というのは言葉としては巧みな表現。報道を自称する界隈から各個撃破を受けていた人達同士がやり取りを成せるように、情報交換ができるようになった。脳内のニューロン同士がつながっていくという感じ。

一人一人が脳内のニューロンで、インターネットが大きな活動を成すシナプスと考えれば分かりやすいだろうか。ニューロンの活性化で、これまでの猫だましが効かなくなったというところかな、昨今の状況変化は。

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このページは、不破雷蔵が2017年2月12日 08:03に書いた記事です。

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