俳人が 「●ね」なる言葉を 賛美する

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これら失望の声を受け、俵氏は「何か書かないと次に進めない雰囲気になっていました。だから一回だけ、その件について、私の思いを書きますね」とツイート。「『死ね』が、いい言葉だなんて私も思わない」としながら「でも、その毒が、ハチの一刺しのように効いて、待機児童問題の深刻さを投げかけた。世の中を動かした。そこには言葉の力がありました」と選出に至った背景を説明した。

「『日本死ね』には言葉の力があった」と君が言ったから12月10日は歌人の魂が失われた記念日。


...と先生の著名な詩を模してみましたが。短歌、に限らず定型詩の類は、限られた条件の中で巧みに言葉を使い、そこから広がる世界を見せることに趣、風情があるのです。例えるなら幕の内弁当とかおせち料理、さらには母親が思いを込めて作った子供の遠足のためのお弁当のようなものです。強い言葉で強引にアピールすることを是とするのは、弁当箱にブロック肉の塊を一つそのままぶち込むようなものでしかありません。

先生の説明を是とするのなら、政治的に正しいと判断されたものに対し、同様の暴言を吐くことも許諾されます。それで良いのでしょうか。目的のためには手段を選ばずの考え方は決して正しいとは思えません。

なお「ハチの一刺し」ですが、刺したハチは敵と相打ちで死んでしまいます。使い方には気を付けるべきでしょう。


さすがにタイトルにあの言い回しを用いるのは気が引けるので、伏せ文字にしたけれど。例の自称「流行語大賞」絡みであの「日本●ね」を推挙したのが歌人の俵万智氏であったこと、そしてそれを正当化したツイートを成したとの話がニュースになるに及び、色々とツッコミを入れた次第。ツイートされた時点で入れていたツッコミを再編集して、厚さ1500ミリほどのオブラートで包んでこんな感じに。

言葉を操り人に感性のうねりを起こさせるのを生業としている人が、いきなりハンマーで相手をぶん殴るような言葉を用い、それを堂々と肯定しちゃいけない。しかもそれを「目的が正しいから別に良いんだ」的な、目的のためには手段を選ばず的な話でまとめたら、テロリズムもヘイトスピーチもすべて肯定されてしまう。さすが都知事選の時に某候補を猛烈にプッシュして、某党機関紙に推挙の言葉を載せただけはある......と揶揄されても仕方がない。


「アベ政治を許さない」も「日本●ね」も、文化教養分野で相応の立ち位置にある人が、政治界隈にその権威を悪用する形で茶々を入れた結果でもある。肩書を悪用し、本末転倒的な状態にある感じ。その分野全体が「文化を政治策謀のために利用しているのだな」と疑われるようになっても仕方がない。まぁこれはここ数年顕著ではあるけどね。安保法絡みで憲法学者とか、社会学者界隈が良い例ではある。

ホント、12月10日は歌人失望記念日としても良い感じになってしまったな。

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このページは、不破雷蔵が2016年12月12日 07:01に書いた記事です。

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