外電の翻訳ミスと意図的な改ざんと報道の能力と

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具体的な例示は避けておくけれど、先の米大統領選周りで起きている色々な事案に関して、明らかに実際の行動、意図とは別の解釈と思われる翻訳的な記事が掲載され、各方面からツッコミが入っている。その解釈の誤訳具合が、今ではネット上のスラングというかネタ話的に用いられる、マドンナの「ライク・ア・ヴァージン」のタイトルの日本語訳の誤解釈を想起させる。「~のように」ではなく「~が好き」と無理やり日本語読みしてしまう、そんな感じ。

当方も翻訳スキルに関しては人のことを言えるレベルではないのだけど、それにしてもこれはちょっとひどいかなあという感はある。そして一連の米大統領選に関わる各種報道を思い返すに、一次ソースとして取得してきたであろう米メディアの偏りもさることながら、翻訳の段階でさらに厚めのフィルタがかかっている、奇妙な混ぜ物が仕込まれているのではないかという疑いが。

単に翻訳スキルに関して今一つの外注に出しているのか、内部でやってしまっているのかもしれないけど。

翻訳部分に投入するリソースをケチった結果、ぐだぐだな翻訳記事が出来上がり、正しい意図が伝えられていないのだとしたら。節約とか倹約というのは、不必要、無駄な部分を削るのであり、必要不可欠な部分のリソースを削ることを意味するわけではないだがな、と考えてしまう。リストラ(リストラクチャリング。最適化のための再構築)を単なる出費削減、人材解雇と同様に見ている状況ではしかたないのかもしれないけど。

他方、誤訳に見せかけた印象操作なら、ケタ違いにタチが悪い話ではある。先日も日経新聞で、買収したFT社の記事の翻訳記事を掲載する際に、原典タイトルにおける人物の羅列を入れ替え、原典に目を通している人からツッコミが入るという一幕があった。


で、その疑問への回答がこれ。編集権の範囲内だから別に問題ないよねー、的な。いいのか、それ。まるで「より深く心に刻むために実名を出したい、どうしても」という報道のワガママ姿勢と同じような方向性。リアリティと事実の差し替えは別物だと思うのだが。

これをやってしまうと、日経掲載のFT記事は「翻訳」ではなく「原典付の独自記事」になってしまうのだよね。最近ではハフィントンジャパンも似たようなことやってるので、「これが新聞では当たり前なのだ」との認識なのかもしれないけど。


と突っ込まれればグゥのネも出なくなってしまうのだよね。

編集権を行使して自前の認識で変えたなどとの発言は、その編集サイドの政治的策動や意図を体現した変更であるとの公知と等しいわけだから、本来は絶対に口にしてはいけない。それを平気で文面化している。軽率な言い訳がもっと大きなぼろを出す結果に陥る、良い例でもある。

ぱっと見聞きでは気が付かないかもしれないけど。だからこそ、記録と、時間をかけての、不特定多数による(=多様な視点による)再検証が必要なのだよね。

...こんな話が出てくると、日経の他のFT記事も似たような感じで、色々と好き勝手に改ざんとかしてるのでは? との疑念が湧いてくる。ルール化されているのだから、他も成されていると「認識」されても仕方が無いと思うのだな。

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このページは、不破雷蔵が2016年11月12日 07:45に書いた記事です。

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