「ネットは本人の姿かたちが出ないから本性は隠れてる」というけれど

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昨今では仮に本人の姿がテレビ電話的に流れてきたとしても、合成だとか編集がされている可能性すら生じているので、裏付けとは確証できないってのが時代の変化を物語っているのだけどそれはさておくとして。この類の話はよく聞く。文字だけ、あるいは一部画像や行動様式だけ、つまり送り手側が取捨選択した上での限定的な情報開示であり、しかもそれが本当のことか否かを裏付ける手立てはない状態によるものだと、本質が見えないことが多々ある。ゲームの上で女性キャラを演じる男性プレイヤーとか、老体のアバターを使っている子供とか。

でも利用頻度が高まり、長時間利用し続け、しかも利用ハードル・情報提供のインターフェイスが容易なものだと、つい本質が出てしまう。そのような環境下でずっと本質とは別のペルソナを演じ続けるのは並大抵の能力では難しい。とりわけツイッターは、その本質が見えやすいツールとして知られている。


Facebookは元々大学生同士の交流サイトからスタートしたものであるし、自分の本質を見せた上での交流が前提なので、似て非なるものなのかなあ、と。だからこそ料理展示会になりやすいし、逆に一旦堰を切ると、「ムラ」的な集合体が容易にできやすくなる。いわゆる「同志」になりやすい。


で、これは何度か言及している話でもあるけれど、本質が暴露されやすいこの類の場において、肩書を振り回してくる界隈は、少なからず指摘されている傾向がある。肩書権威主義ってのも多分にあり、それが有効だからこそ、用いているのだろうけど、その場その場での瞬間芸的なリアル対面ならともかく、ずっと記録が残るようなネット界隈の場では、大人しく表示しておくのが一番。何かのイベントで胸に勲章をつけていくのは良いけれど、日常生活とか業務中もずっとずらりとつけておく人はいないよね(規則上、略章をつけることは多いけど)。

新聞記者をはじめとした報道界隈の、それなりに地位を持つ人がツイッター上で失言や妄言、問題発言の数々を繰り返し、往々にしてその問題すら気が付いていないのも、今件の話のような「本質が出やすい」結果によるものだろうし、肩書回りも色々となるほど感を覚えたりする。

シンプルで あればあるほど 地が出るね

......ということなのかな、きっと。

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このページは、不破雷蔵が2016年11月 1日 07:28に書いた記事です。

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