「青菜は男に見せるな」と「世の中には知らない方が良いこともある」と

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トリガーとなったお話そのものはトゥギャッターのまとめの内容を、つづられているコメントと併せて読んでもらうとして。発電周りや放射線周りではしばしば生じる「こんなものがあるといいなあ」が「こんなものがあるかも」となり「こんなものが将来できる」「こんなものができるかもしれない」、そして「こんなものが(今現在)あるのだから使わないのは政府の、社会の陰謀だ」的なものになってしまうというもの。

願望・希望・妄想がいつの間にか将来の可能性、そして現在すでに実用化されているものへとさし変わってしまう。夢の体現化を目指す動きは称賛すべきだけど、それをすでにできているものとして記憶を差し替え、それをあおり叩きに用い、間違いを指摘されると逆切れするのは大人の所業ではない。いや、子供でもダメだ。

で、この類の話のトリガーとしてよくあるのが、指摘されている「余計な情報に触れると、要らぬトラブルが生じるきっかけとなる」というもの。


要旨はほぼまとめられているけど、情報の取得は時として要らぬ行動のきっかけとなり、本人だけでなく周囲も不幸にしてしまうというもの。まぁ、そこに「生兵法は大けがのもと」が加わって加速化するという感じかなあ。自分の手の届く範囲で、限りのことを成すのが最優先事項。色々と交じっているけど、これがベターな気がする。ひとが投入できるリソースは限られているからね。

ただ昨今は先日の都内での停電事故や豊洲市場事案が好例だけど、下手にその辺りの情報開示を調整していると、情報隠蔽だのなんだとと騒ぎが生じる。そして中途半端な「面倒くせぇ」のが湧いてくる......って、本来正しい情報を伝えねばならない報道や「専門家」がその先陣を切って「面倒くせぇ」界隈になっているんだよな、思い返してみると。これはいったいどういうことなんだろうか。

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このページは、不破雷蔵が2016年10月16日 07:51に書いた記事です。

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