「テレビに出ること」がギャラになる時代、そうでない時代

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先日ちょいとばかり話題に登った、いつものパターンの繰り返し的な、テレビ番組の制作側の非常識な、創作業を軽く扱った的な話。テレビ常識は世間の非常識とはよくぞいったもので、テレビ界隈が「視聴者が求めている」云々ってのは、自分たちの常識を視聴者に刷り込ませてるだけじゃないのかと思ったりもする。

で、このまとめそのものではなく、そのまとめをツイートした時に寄せられたこのコメントに、はっとする。そうか、テレビの制作側は「テレビに出演する」こと自身をギャラのように考えているので、無料とかべらぼうに安い対価しか提供しないのか。そう考えれば道理は通る。

まぁ、制作側の予算もギチギチで、やりくりが大変だろうという話も多々あるので、それも理由の一因には違いない。ただそれって、お役所などが「予算が無いのでタダでイラスト描いてね」と依頼したり、「友達なんだから無料でやってよね」とドヤ顔で依頼してくる話と何ら変わりはない。

先日も言及したけれど、テレビが新聞や雑誌、ラジオと同様、数少ない、そして貴重な、不特定多数への情報公知ができる媒体であった時代なら、テレビに登場するってのはもの凄い価値があることだったのには違いない。隣町どころか数キロ先の他人に情報を周知させる手段すら、個人は持ち合わせていなかった。その時代に、全国に情報を開示できるだなんて、的な(雑誌がむちゃくちゃ売れていたのも、これが原因の一つ)。

でも今はネットの普及で、その価値はメッキがはがれてしまった。それなりに意義はあるけれど、昔とは言葉違いにケタ違いの低さでしかない。手元にある「テレビ出演」の価値額面ががっつりと下がっているのに、同じ価値との認識のまま、交渉相手のほっべをぴしぴしと叩いてくる。そんな感じ。


ツイッターなどのソーシャルメディアで投稿された事件や自然災害の写真・映像に飛びつく報道の広報アカウントのアプローチの仕方とか、出版関連などが運営するポータル系のサイトの「リンクをしてあげるから記事をコピーさせてください」的な話とかも、似たようなものかなあ、という気はする。


この類の話は以前した記憶もあるのだけど、結局これに行き着くんだよね。宣伝になるから対価は無しとか超安価でってのは、あてにならない。本当に宣伝になるようなところからのアプローチなら、そもそも論としてしっかりとした報酬も提示してくれる。何より報酬は生業に対する評価の物差しなのだからね。

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このページは、不破雷蔵が2016年10月12日 07:31に書いた記事です。

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