自分の考えのみでその場で語るのは専門家とはいい難いとの発想

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これは指摘された時に、あー、なるほど確かにそれは言えるかもと納得させられた。そして例の国会クイズ的なやりとりの理不尽さとか、突然質問されて応対の上で間違いがあるとそれをフルボッコに叩いていく界隈への違和感がいくぶん解けた。

確かに完ぺきな記憶能力を有していてしかもそれが巧みに検索能力とリンクし、即時にするりと回答が出せるようなデータベース化されているほどの能力を持っているのなら、語りのみで専門家を自称する資格はある。威張ったっていい。でもそれってほとんどの人には無理で、よくテレビや漫画などで出てくるシーン、専門家が質問されて「それはここに出ているね」と後ろの本棚にずらりと並べられた専門書からすっと特定の一冊を引っ張り出してきて見せるような、そんな能力......インデックス能力とサーチ能力とでも呼ぶべきか......が必要なのではないかな、と。


ドラえもんの「ひみつどうぐ」の一つ「暗記パン」みたいなものがあればいいんだけど、そんなものは実際にはありはしない。分からないことは辞書で引き、確認し、自分の経験則や記憶、そしてさらに調べたあれこれのパターンを組み合わせて、解を導き出していく。その手順にこなれていたり、経験が豊富だったりするからこそ、専門家たりえる。

専門家というよりは、匠と表現した方が分かりやすいのかもしれないな。

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このページは、不破雷蔵が2016年10月 8日 07:36に書いた記事です。

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