年金問題を「1本のようかん」に例えるおろかさ

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現在の日本の年金制度は実質的に積立制度ではなく、賦課制度。要は自分がかけてきた保険金を払い戻しするのではなく、資格を得るための支払いをしているのに過ぎない。高齢層の一部にはこれを誤解し、支払い額が落ちると「自分の金が」と声高に語るのもこれが要因。

で、今件の語りは多分に積立制度的な概念で話しているし、さらに積み立てた高齢者が一部を後の世代に残すか否かという、よくわからない考え方になっている。ようかんは食べたらそれでオシマイで、増えるわけではないのだし。なんとも、高齢者が若年層に施しを与えるような図式にして、高齢層を太鼓持ちしている、そんな感じ。

食べてオシマイの羊羹に例えるからタチが悪い。稲に例えればよい。どれだけ脱穀してお米にするか、種もみにして未来に備えるか。種もみを増やせばそれだけ未来の収穫量は増える。今より種もみを減らせば当然減る。年金はこの「脱穀してお米にした分」から、働いていない高齢層への分配的なもの。

収穫量は天候などの影響を受け、不安定。だから多めに植える種もみを見積もる必要がある。可能ならば備蓄できるように、より生産量を増やすため、畑を耕し、植えられる種もみの寮も増やさねばならない。しかし、かの語りでは「今より種もみに回す量減らそうぜ」でしかない。しかもいずれにせよ全部脱穀し、種もみとして残していないことになる。ようかんは畑に植えてもようかんの木が生えるわけではない。

以前言及したけれど、数年前に巷で流行った「コンクリートから人へ」が極めて象徴的なコピー。当時は素晴らしい表現のように評されていたけれど、要は「未来への種もみより、今食わせろ」を意味するのだよね。社会的リソースを将来にわたって便益をもたらす建設などの投資にではなく、今現在の人に渡せ。ゼロか1かではないけれど、その言葉の裏を改めて読み解くと「食い逃げしようぜ」と同義になることに、背筋がぞっとする。


「だったら例えば年金は、すべて積立式にすればよい」との話もあるけど、それだとバブル期のインフレで年金受給者がエラいことになったのは必至。

議員からしてこの始末なのだからというのもあるけれど、お金周りの話は積極的に正しい情報の啓蒙普及が必要なんだろうなあ。以前も触れているけど、日本は元々お金に関して汚れている、アンタッチャブル的な認識が強く、それが逆に不勉強状態となる理由になってしまっている。お金はとても大事なんだけどねえ。

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このページは、不破雷蔵が2016年10月17日 08:00に書いた記事です。

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