ゼロリスクと不確かな情報の拡散と

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いわゆるインターネットの専門家的な、かつてアングラ系技術雑誌を出していたトップの方がことあるたびに、自らの発信力の大きさを悪用する形で、特に震災後のデマやガセネタ周りの喧伝を成したことに関して、正当化するために用いている言い回し。「ゼロリスクを果たすために、不確かな情報でもまずは拡散すべき」。

でもこれ、よく考えてみたら矛盾している。不確かな情報自身が信ぴょう性において多分にリスクを有しており、それをゼロリスクのために用いるということ自体、おかしな話。例えている通り、掃除をしてきれいにしなければならない、まずは雑巾がけをしようと高らかに語りながら、手に持っているのは床よりも汚い雑巾だったりする始末。

「この雑巾が汚れているか否かなど、自分は分からない」と主張するかもしれない。きれいか否かが分からない雑巾を用いて掃除をしようとすることがいかに愚かか、そもそも雑巾がきれいか否かを判断できない人が、掃除をする資格があるのか否か。


指摘のある通り、不確かな情報はリスクを縮小するどころか拡大してしまう可能性もある。領域を広げてしまう場合もある。

そしてもちろんではあるのだけど。そもそもゼロリスクを大義名分として、行動の正当性を主張することが正しいわけではないことは言うまでもない。ゼロリスク自身の想定自身が問題で、逆にそれは非常に危険でメリットは何もないから。リスクの体現確率とそれによって生じうる損失、その二つを掛け合わせた期待値を算出し、それを防ぐ、減らすためのリソースをどこまで投入すれば、全体として利益を最大化できるか。

以前記事にした記憶もあるのだけど、ハードディスクのバックアップのタイミングと、構造はよく似ている。毎日頻繁にバックアップを取れば、万一クラッシュした時のダメージは最小限になる。けれどバックアップ中は作業が停止するため、作業時間が減ってしまう。どの程度の頻度で実施するのが一番効率的か......という問題。

状況が、そして心理状態が不安定な時には、この類の不確かな情報に踊らされやすいのは否めないのだけどね。そしてそのようなスキを、山師などは狙っているのにも違いは無い。しまいには「感情論が」と言ってくるけど、それが出たらもうアウトだからね。正しいか否かなど関係ないと暴露しているのと同じだから。

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このページは、不破雷蔵が2016年10月17日 07:37に書いた記事です。

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