勉強はやっぱりやっておいた方がいいよね、というのがよくわかるお話

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義務教育で習う科学などの理系の勉強は、習っていても実社会で役立つ場面があまりないとのネタ話は繰り返し語られることになる。大学レベルになるとその通りかもしれないけれど、義務教育レベルならば一通り、高校レベルでも頭の中にフックを用意しておいて、いざとなればそのフックをきっかけに調べられるような土台を用意しておくことで、随分と世の中をうまくわたっていくことができる...というか保険的な感じで、下手を打たずに済む、避けることができる。その実例が、豊洲事案で起きていると評することができる。

先日からちらほらと触れてるけど、報道が伝えている豊洲事案にかかわる「懸念」の多分は、ちょっと立ち止まって精査をすると、それを懸念とする意味があるのか否かと頭を抱えてしまうようなレベル。まさに舞台劇、川口浩の探検隊と同じようなお話。詳しい知識を有する専門家でなくとも、理詰めで考えても、これは変だと理解ができる。

高校程度の知識でも、詐欺師やうそつきのウソに危険さを覚え、信奉してしまったり、だまされるリスクを避けられる。一つ一つは小さいものかもしれないけど、蓄積されると大きなものになる。暗算ができないと毎回のお買い物でお釣りをごまかされてしまうけど、それができれば「お釣り違うよね」と突っ込みを入れられる、そんな感じ(そもそもそんな店で買い物をするな、というのはさておき)。


一方でこれは詐欺師などに引っかかった例、悪質な宗教や洗脳、似非医学に取りつかれた例でもいえるのだけど、だまされた人がそのままだと、自分がトラップにかかった、だまされたこと自体が認識できないので、勉強や経験などによるメリットを認識できないままになる。つまり、必要性を覚えないので、ますます渦に飲まれてしまう。「ツボを買ったのに悪いことばかり起きる? それは信条が足りないのです。もっとお布施してツボを買いなさい」。こんな感じなのだな。

これはこれで怖い話には違いない。

            

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この記事について

このページは、不破雷蔵が2016年9月20日 07:22に書いた記事です。

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