学校における読書感想文という苦行

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実のところ当方も読書感想文は嫌いだった。本を読むのは好きだけど、指定された本の内容が自分の感性にマッチするかは別の問題であるし、さらにはその本の中身がどのように良かったのかに関して、他人に知らしめるような文面に仕上げるのは、本の中身が好きであるのか否かとは次元の異なる話だなと思っていたから。かくして読書感想文の類は、あらすじがメインで、段落ごとに「僕もそう思いました」「僕はこうだったらよいと思いました」がプラスされる形になる。感想文と呼ばれているものは、多分にその本の分析を求めていたのかなあ、という気もする。

その点では、指摘されている「学校の読書感想文では大よそ学校がお薦めするような良い子的な本が題材となり、うなづく以外の感想を見出しにくい。だから感想文も創りにくい」ってのは良くわかるし、ああなるほど感想文を書くのが苦手だったのは、これが主要因だったのかなと納得させられる。だって今では多様な、自分の好きな本を手にして、その感想を掲示板に書き込んだりツイートしたり記事にしたり、アマゾンのレビューに書き連ねることができるし、そこにあらすじ+「僕もそう思います」なんてパターンのは書かないからね。特定の本を差し出されて「この本の感想を書け」ってのは仕事位でしかないだろうし、極力そういうのは避けたい。

良かった、悪かった、変だった、面白かった的な感想以外の、湧き上がる感情的なものを書き連ねる、感想文というよりは感情表現文的なものは、自分が読みたかった、読んで充足感を覚えたものにしたいところ。本に限らず、良いものに触れた際の「口コミしたい、知らしめたい」っ感情の体現化が感想文であるべき。


指摘されている通り学校の授業における感想文で、課題となる本が特定されているケースは、多分に教師側の都合によるものなんだろうな。多種多様な課題をいちいち精査するのは面倒だから、特定の本の感想の方が精査はしやすい。本当は教師側も一読者の立場からそれぞれの生徒の感想文を読んで精査した方がよいのだろうけど。能力が足りない場合もあるだろうし、リソースは決定的に足りないのだろうな。

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このページは、不破雷蔵が2016年7月19日 07:13に書いた記事です。

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