なるほどそうか、「理解」と「納得」は別物

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先日の【二元論の問題と「『わかりやすい』が『ただしい』とは限らない」と】でいただいたレスポンス。目からうろことはまさにこんな感じなのかぁぁぁぁ、的な。「理解する」ってのは対象の構造、仕組み、論理を把握して、その実情を認識できる、道理を自分のものとし、意味を咀嚼できること。それに対し「納得」とは「理解」に近しい部分もあるけれど、むしろ感情的な面での認知の意味合いが強い。

そして論理的な「理解」よりは「納得」させる方が、ハードルは得てして低い。論理体系のあれこれを隅々まで把握してもらえない、理解はされなくても、納得してもらうことは十分に可能。そして感情とは論理とは別物なので、多分に感情論を盛り込んで、論理の部分を穴埋めし、納得させることができてしまう。いや実際、いわゆるバズワードでは「納得」って結構重宝される言い回しなんだよね。

これは多分に自戒も含めての話なんだけど、自分は理解しているつもりでも納得しているだけだったりすると、その内容を第三者に伝える際に、多分に感情論の部分が混じるため、正確さの保証ができなくなる、ゆらいでしまう。

物凄い極論、あるいはプロパガンダの手法ではあるけれど、暗い会場に熱狂的な信者を集め、音頭をとったり同意を求める声援を送らせながら物事を語ると、その内容が多分にデタラメでも、論理的には破たんしていても、ついそれが真実であり世の中の道理であると「納得」してしまう。聞いた人達自身は「理解」のつもりでも。

「分かりやすい」と「正しい」同様、「理解」と「納得」についても、気を付けねばならないなあ、と。

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このページは、不破雷蔵が2016年7月 3日 07:09に書いた記事です。

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