お金をかけるのは悪だとして、そのかけた先にいる人も悪になるのかな

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倹約、節約、無駄遣い厳禁的な、お金を使うことは悪なので極力避けるように、お金を節約することは最大の善行であるという考え方がある。限られた予算の中でいかにやりくりするかを考えるのは正しい発想ではあるし、家計を圧迫するような浪費癖を持つ人は家庭崩壊のトリガーとなる。分相応を超えた行動が破綻につながるのはどような物事でも変わらない。

他方、一事が万事「お金をかけること」すべてにおいて悪行判定をしたり、安く済ませるのが最強だ的な決めつけをしてしまったり、果ては高い買い物はするべきでは無いとの考えにまで至っているのは、よろしい話では無い。

これにはいくつか理由がある。語られている通り、お金を消費する事が悪ならば、消費した先にいる多数の人たちも悪になる。つまり他人から見れば自分自身も悪になってしまう(無職で何も生み出していないのならともかく)。経済全体を考えれば、血流に当たるお金の流れが少なくなれば、当然経済も落ち込んでしまう。

「そんな大局観とか他人の事など知らぬ」という人でも、「安物買いの銭失い」や「費用対効果」「期待値計算の結果による判断」まで考慮すれば、それは容易に理解できる。それぞれ、「安く済ませても効果が薄い、あるいはリスクが体現しやすい場合があるので、結局高い支払いが必要になることもある」「安いものはコストパフォーマンスが低いことも多い。量産効果が果たされていないし、基本料金は変わらないから」「節約のためにしたことで発生する余計なリソースが、結局は高値についてしまう」を意味する。

その辺りの概念をしっかりと理解した上で、節約や倹約について語り、実行するのなら良いけれど。それを成さずにコストカットばかりやろうとすると、結局自分自身の首が締まる。ところが現状では、節約や倹約を伝えることばかりで、さらに身近な娯楽の多くが無料やら不法行為で手に入る機会が用意されている。お金を使うことが少なくなれば、その支払先の企業や製作者、サービス提供者の受取りも少なくなる。血の巡りは悪くなるのは当然。


いわゆる「原価厨」が良い例で、目の前にあるものしか対価計算に考慮しない。スマホアプリは物理的なものとして存在しないからタダであると認識してしまう。初めから完成物か空から降ってくるような感覚で、創り手の実情を知らないので、それが常識化してしまう。さらには世間一般でも「お金は悪だ」的な教えをしてくるものだから、ますます信じ込んでしまう。

この数十年間、前世紀のバブル崩壊前後からのデフレ感が、日本の金銭感覚におかしな方向性をつけてしまったのかな......という感はある。緊縮財政、財政再建という呪いが、庶民の金銭感覚をもおかしなものにしてしまった、と表現するのはあまりにも飛躍しすぎているだろうか。債券関係者が最近のデフレからインフレへの政策シフトの中で、しきりに政権・金融政策批判を繰り返しているのも、多分にデフレの方が債券の取扱の上ではもうけやすいからなんだよなあ。

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このページは、不破雷蔵が2016年7月 3日 07:34に書いた記事です。

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