「拡散希望」とあるけれど広めて良いかは超注意

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これはソーシャルメディアの中でも容易に情報を第三者に向けて発信できるツイッターならではのお話。まあ、掲示板でも似たようなものではあるのだけどね。掲示板の場合は不特定多数が同じタイミングで閲読しチェックするけれど、ツイッターの場合は限られた人のチェックが多段的に入るので、同時多発チェックにおける「それはアウト」的な判断が伝わりにくいんだな。例えるなら、掲示板は100人がテーブルの周りにずらりと並んで一斉に中央の造形を見るようなもの。ツイッターは井戸端会議の主婦内でのネタ的お話が家庭で食事時に交わされ、それが子供経由で学校に浸透していくようなもの。

で、指摘の通り、「拡散」とか「拡散希望」とのタグがついていたり枕詞に使われていた場合、その大よそはデマとかガセ、あるいは事実が部分的に含まれていたとしても、希望されている通りに広めるのは良くない話。事実誤認だったり解釈が違っていたり不確定な内容だったり。

似たようなケースとしては指摘の通り「マスコミが報じない」「◯◯にいる知人の話」「真実」「許せない」「警戒して下さい」、さらには「ここだけの話」とか同じ内容を繰り返し書き込むような手法のもの。無論中には本当に事実であったり必要な情報の場合もあるけれど、それで得られうるメリットと、ガセネタであって広げてしまうと生じるダメージとを比較したら、はるかに広げない方が良い、内容がデマであると判断した方が、期待値計算の上でもプラスとなる。

で、これらの手法や言い回しって、よく読み返してみると、ネット上のやりとりだけでなく、普段の流言やデマにおける手法とあまり変わりがないのだよね。要は元々人の本質として存在しているものとか、デマを流すような界隈がその手法を(あるいは無意識のうちに)ネット上でも使っているだけ。それだけの話なんだよね。

加えるとすれば、この類の話は多分に、人の感情に訴えるようなものが多く、さらにビジュアル的にもインパクトのある画像が添付されるケースが多々ある。要は感情にゆさぶり(悲劇とか可哀そうとか怒りとか、どちらかといえばネガティブなもの)をかけて、正しい判断をさせる猶予を与えない、判断の精度を落とさせる次第ではある。

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このページは、不破雷蔵が2016年4月29日 08:13に書いた記事です。

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