災害ボランティアは自己実現、承認欲求の体現化の場所ではない

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九州・熊本地震に絡んだボランティアに関しては以前も言及しているけれど、先日公的に開始された募集と相次ぎすぐに募集停止が成されたことに対して、色々な意見が見受けられる。指摘の通り、募集停止の動きに憤る声も見受けられる。

ただそれって多分に、記事タイトルの通り「自分の自意識体現化、承認欲求の披露の場が用意されなかった、失われたことへの怒り」な感はある。その姿勢って例えるなら、自分の料理を認めてほしくて、お腹いっぱいの人の口に無理矢理突っ込むような感じなんだよね。はた迷惑でしかない。


そんなに承認欲求を体現化したいのなら、手っ取り早く募金をしてそれをソーシャルメディアで披露すれば良い。ボランティアに行くのだって相応に費用はかかるのだから、その費用をそのまま募金すれば良い。ゲームアプリの課金であれだけおおっぴらにその雄姿(!?)ぶりが披露されているのだから、募金ならもっと注目され賛美の声もあがる。「いい子っぶり」的な中傷もあるだろうけど、そんなものは放っておけばよい。良い事をしたことに何の変わりも無い。

募金だけでなくふるさと納税という手もある。ルートは異なるし使われ方も違いがあるけれど、貢献することに違いは無い。そして募金もしっかりとした、対象の募金先ならば税金周りで優遇措置を得ることができる(胡散臭いところとか、優遇が受けられない場所を経由した募金は、ぶっちゃけると必要ないかな)。

お金ってそもそも、そういう使い方をするためのツールだからね。時間や用途を圧縮した、多様に変形ができる、便利過ぎる道具。日本は何かとお金への忌避感があるけれど、有効に使えばこれほど便利なものはないのだから。

            

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このページは、不破雷蔵が2016年4月25日 07:07に書いた記事です。

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