みのもんた氏の「炎上」に係わる分析

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恐らくはこれまで何度となくなりすましが登場したであろう、みのもんた氏のツイッターアカウント。ついにご本人が登場したと思ったらあっという間に大炎上をかましてしまい、さらに従来型メディアにネタを提供してしまうという皮肉な結果に終わった。今後どうなるかはまだ不明ではあるけれど、つくづく「自分に賛意を示す人らを目の前にした、一方的な情報発信」と「不特定多数から突っ込みが入る可能性がある場での情報発信」の違いを覚えさせる。何度となく言及している、これまでの報道と昨今の報道の環境変化を如実に体現化したような。


で、今件事案に関しては周辺類似事案も合わせ、このような形で分析をされていた方が。大よそ同意ができる。インターネットにしてもソーシャルメディアにしても、現在では多分に普及浸透しているのだから、周囲にも相応なスキルや経験を持ち、アドバイスをしてくる人はいたはず。そのアドバイスがなされなかったのか、成されても聞く耳を持たなかったってのは、ある意味で不幸なのかもしれないし、指摘の通り傲慢だったのかもしれない。もっと単純に表現すれば、舐めていた。

ネット界隈では良く「半年ROMれ」という言い回しがある。ROMとはリードオンリーメモリーのことで、ここから転じて情報発信はせずに情報を読むだけの姿勢を意味する。つまり利用を始めてから半年間は読むだけに徹して雰囲気をつかめということ。この「半年ROMれ」がみの氏にも必要だったのかもしれない。まぁ、オスプレイ直下事案の対象先生のように、半年ROMったとしてもダメだろうなあ的なケースも無いとは言えないのだけど。

大よそ傲慢でいると、その場では気持ちが良いかもしれないけれど、後悔をずっと引きずる事になる。ならば最初は窮屈さを覚え、時として歯ぎしりをするような場面に遭遇することもあるだろうけど、謙虚な姿勢を貫いた方が、結局のところ自分にとってはプラスとなるに違いない。

※追記:


そうでした、そうそう。半年ROMれの方はこちらでした。Memoryのままだと文意が何となく変。ご指摘ありがとうございました。

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このページは、不破雷蔵が2016年4月25日 06:30に書いた記事です。

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