「個人や素人の限界」と、兵站の認識の希薄さと

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先日もちょっと触れた、九州地方の地震に絡んだ救援・支援物資周りの話。現状でも流通がアップアップしていて現地ではごちゃごちゃな状況が続いているので、個人が勝手に足を運んで云々ってのは問題外。それに指摘の通り、プロにはそれなりの技術もメリットもある。そのプロによりパワーを与えるのが募金な次第。まさに悟空の「このオラに、ほんのちょっとずつだけ 元気を分けてくれ」的な状態で、自分の元気をちょっと分ける感じ。


怒鳴るまでには至っていなかったけれど、それに近い状態の状況を目の当たりにしているので、あちこちで似たようなことが起きてるのだなという実感はある。先日の【ボランティアより今は募金、しかも適切な場所へ】でも触れているけど、個人で援助物資を無理に送ろうとする動きは「兵站の軽視」と「テレビ感覚の距離感の喪失」が大きな要因かな、と思ったりもする。

「兵站の軽視」は補給物資そのものだけでなく、それを適切な量だけ適切な時間で適切な頻度で送る輸送の仕組みの構築、そして継続的運用の大切さ......というか存在そのものですら認識していない。「テレビ感覚の距離感の喪失」とは画面上の状況が目の前にある、手を差し出せば届くとの深層心理レベルでの錯覚。画面に映っているのに、リアルタイムに反応しているのに、自分が手を差し伸べられないのは変じゃないか、というもの。特に「兵站の軽視」の部分は、先の震災で大きな問題となっている、インフラへの軽視にも連動するところがある。

まぁ、要は、本質そのものは大きな違いが無く、その本質が状況に応じて少しずつ姿形を変えて露呈しているだけなのかなあ、とも思ったりする。

            

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このページは、不破雷蔵が2016年4月19日 07:28に書いた記事です。

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