編集で意図を違える事案が続くと「報道」そのものを読み解くのではなく、単にアンテナ代わりにした方がいいのかな、という話

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具体的事例の提示は話が雑多になるので今回は省略するけれど、上にある通り「報道」として伝える側が誤解釈、あるいは都合の良い解釈をして「まとめ」て不特定多数にその内容を公知するケースが増え、必然的に全文のやり取りや議事録を参照しないとマズイケースが増えている......というより恐らくは、以前からのもので、それが単に露呈されることが増えて来ただけなのかな、と。

情報の伝達取得保持検索技術が格段に進歩したことで、情報に係わる便宜性は増したはずなのに、かえって不必要な、不確かな情報が積極的に広がるようになった。いや、単に可視化されただけなんだろう。


脇の甘さをとの指摘もある。確かにそれは一因ではあるけれど、むしろそれは些細な事。切り貼りは必要不可欠ではあるけれど、意図を違えずに成す事が大前提であり、それを無視して自在に作り上げるのは、単なるコラージュ漫画でしかない。

結局現状において、報道界隈で問題視されている部分の要素は、一部の悪質系まとめサイトが指摘されている問題と何ら変わりはないのかもしれない。むしろ逆かもしれないし、物事を伝える際に生じる、共通の、本質的な「カルマ」の部分なのかもしれない。


指摘の通り、先の「吉田調書」の事例が良い例ではあるし、さらにいえば類似案件の「吉田証言」も良い例(長きに渡り、との点で)。同じようなことをこれまでに何度となく繰り返していて、今回はたまたま露呈しただけ、そう受け止められても仕方がない。

想い返すとぞっとするのだけど、報道から発信された情報に対する精査は、ネットで情報を取得・確認し不特定多数に公知する手段を個人が持ち得なかった過去では、当然成されなかった訳で。新聞やテレビなどの「報道」の思惑、意図、編集が「真実」であると、不特定多数が鵜呑みにしてしまっていたと考えさせられる次第。

もちろん過去においても個人個人の精査は成され得ただろうけど、情報取得のハードルが高かったので精査までには至らない事例も多々あっただろうし、さらに精査が出来てもその結果を不特定多数に広める手段が無かったので、情報がリンクされ、新たな価値・事実を見出すような機会も生まれえなかったわけだ。それができるようになったので、色々と見えない部分、分からない部分が分かるようになってきた、と。

結局現状では、タイトルの通り、少しでも違和感を覚えるものがあれば、あるいは特にどっちでも構わないもの以外の「報道」は一次ソースをたどる必要がある、一次ソースが開示されていないものは、原則として話半分で聞き流し、それを事実として他の話につなげるてしまうのは非常にリスクが大きいということになるのかな。

......「報道」、本来与えられた仕事をしろよ、的な。

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このページは、不破雷蔵が2016年2月19日 07:53に書いた記事です。

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