落語はライブ。その発想は無かった

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先日の【CDの売上落ちてるけどコンサートはバリバリ人気なんだってさ、いやマジで】の後日談的な話&覚書のまとめ的なもの。確かに以前と比べて落語に係わる注目度は明らかに変わってきた感はあるけれど、単にデジタル化に積極的な動きを示していたり、音声による配信と相性が良いだけでなく、ライブ人気の流れとして考えると、するりと理解が出来てしまう。なかなか向けなかった卵の殻が、ぽんっと飛び出すように中身が出てきた感じ。いや、もちろんライブ感だけが、落語の復興的な注目を集める理由ではないのだろうけど。


要はデジタル化の波で取得ハードルが下がってワゴンセールス状態になり、安価で、さらには無料で手に入るようになり、変わり映えがあまりしなくなった。どれも同じじゃん、みたいな。そこで、より特別なものを求めるような状態のファンが増え、その欲求を満たしてくれるのがライブだったということかな。

他方、元々音楽ってのはそういうもので、カセットテープからCD、そして音源へとシフトが続く中で、汎用化が過ぎて空気のようなものとなってしまった。どこにでもあるものは、どこにもないのと同じ。差異が無いのなら存在そのものには間違いないけれど、ある・なし以上の認識がされにくくなってしまった。この曲が聴きたいってのはあまり無く、自分の聴きたい気分にあった、こんな感じのが欲しい、だから手持ちの音源で十分だ、ランダムアクセスができるし、的な。

先日、テレビ放送を動画と認識してしまってランダムアクセスが出来ないのを不思議がる子供の話をした際に、「でも動画はすぐにデータが消えてしまう」との話があった。その場合どうするのだろうかと考えたのだけど、余程特定のものでない限り、「じゃあ別の類似動画を観るからいいや」的な状態になっているのではないかな。それが空気化、普遍化。「この猫のこのシーンの動画が見たい」ではなく、「猫の動画が見たい」「猫の面白動画が見たい」的なレベルでの需要となってしまっている。

その普遍化が音楽視聴で生じているのかもしれない。だからこそ、そうではなく、特別な体感ができるライブを求めるようになる、と。まぁ、宗教みたいなところもあるけどね。


プロ野球の来場者数は確かにここ数年は増加の傾向にある。もう少し精査をする必要があるけれど、減退一方と思っていただけに、これは意外。もちろん、試合数の増減とか、色々考慮する要素はあるけれど。

ライブコンサートの売上は、CDや音源と比べると、利益率は低いとの指摘もある。周辺グッズで稼ぎを得やすいけれど、ライブそのものは色々と手間がかかる。また、展示会会場問題に代表されるように、展開場所の限界があるので、CDや音源のようにどこまでも売り上げを伸ばすわけにもいかない。その辺りもあわせ、色々と考えていく必要はあるけれど、興味深い話には違いない。

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このページは、不破雷蔵が2016年2月 5日 08:11に書いた記事です。

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