産廃や芸能人グループへの報道姿勢で改めて見えた「報道」のゆがみ

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先日の【「報道に使うのならばソーシャルメディアの顔写真は本人の使用拒否意思があっても使って問題ない」との見解。では「報道」とは?】から連なる話。まぁ、トリガーとなったのは同人誌関連のコスト問題なのだけど。以前の異物混入事案にもあるように、世の中の事象は多種多様に及び、それぞれがニュース素材としての価値はあるし、注目されるだけの要素はある。それらの中から選択したのは報道側であり、にも関わらず「自分達は需要に応えただけなのだから選択の際の責任は無い」とするのは筋が通らない。

視聴者が求めているのはそれのみでは無く、求めているであろう需要のうちの一つでしかなく。多数の選択肢のうち、メディア・報道側がそれを選んだ以上、「視聴者が求めていたから」との弁明は意味を成さない。第一、「求められたからやった。自分らに責は無い」とするのなら、「神の意志を聞いたので実行した」「上司に言われたのでやった」系の行為には、一切文句をいえなくなってしまう。そんな話はとんと聞いたことが無い。

政治周りの「報道」の意気込みが、先日の芸能人クループSのごたごたや、産業廃棄物問題で直接行為を成した会社に対してはほとんど見られない辺りからも、「視聴者が、読者が求めているから」との説明が、詭弁でしかないとの裏付けになる。求めている選択肢の中から選んでいるのは報道自身。しかも内容は横並び。


政府批判に関する指摘はまさにその通りで、結局「報道」の言葉自体を毀損しているようにしか見えなくなってくる。いや、元々その程度のもので、大義名分として使っていただけであり、その化けの皮がはがれただけなのかなあ、と。


この指摘は当方も感じていた話。今年のブラック企業大賞はほぼ今件グループS事案で決まり。何しろ公共放送をあのような形で濫用したぐらいだから。実際のしびとが出ないだけで、北朝鮮や中国と何ら変わりはない。周辺の報道姿勢も含め。今年のノミネート、大賞には大いに期待したいところだ。

......年末まで、ちゃんと覚えてますからね。

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このページは、不破雷蔵が2016年1月23日 08:36に書いた記事です。

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