単なる子供嫌いではなく、保護者の姿勢が問題なのかな

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先日の【乗り止めてあるバイクはおもちゃじゃない。子供に遊ばせるなど問題外】に絡んだ話。公共の場において子供の行動をどのように見るか、判断するかに際して、事ある毎に問題提起されるけれど、一つの見方として「ああ、そういう部分もあるのかな」と思わせる指摘。要は子供そのものは嫌いでは無い、その位の歳なら仕方がないかもしれない、それは認識している一方で、その状況がおきているにも関わらず、それを制止するなどの責を負っているはずの保護者が、何の対応もしていないことにいらだちを覚えてしまうというもの。場合によってはそのいらだちの方向が、子供自身に誤って向かってしまう事もある。

誤解を生みかねないことを承知の上で例えると、ペットがお痛をした時に、第三者あるいは被害者は、ペット自身にお叱りをするだろうか、それとも飼い主にするだろうか。そのペットが人間の言うことを認識できているとしたら、とか。色々と考えてみる。


子供が何かやんちゃなことをするのは仕方がない面もある。教育、啓蒙、経験、判断がまだ大人ほど十分ではないから。また価値観も本来あるべきものとは別の軸にあるって場合も考えられる。ただその許しは、大人である保護者には通用し難い。

そう考えると先の記事にある、バイクをおもちゃのように扱う子供がいても、その行為自身は危ないしすぐに止めさせねばと考えるし、怒りもそれほどではないけれど、保護者が率先しておもちゃのような取り扱いをして子供に使わせていると、怒髪天モードになるのは理解が出来る。

子供周りの問題の一因って、この視点で考えると、すっきりする部分があるのかもしれない。

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このページは、不破雷蔵が2015年8月28日 08:03に書いた記事です。

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