人は怒鳴られるとその理由ではなく怒鳴られたこと自体が記憶に刻まれる

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大人になるとある程度の経験から色々と「読む」ことができるのだけど、子供のうちは大人の存在が絶対的なものだから、感情を多分に含んだやりとりは、大きな攻撃力を持つことになる。一社員が社長から直接とか、ファンがアイドル自身から言葉を受けるみたいな感じ。だから大人における子供への怒鳴り、叱りは注意をしなきゃならない。

ましてや今件では子供は多分に楽しいことをするために足を運んでいる。腕前をみがくためって理由もあるんだろうけど、それも結局は楽しいことにつながるから。

結局のところ、この類のクラブってのは、子供のためではなく、クラブ存続そのもののために運営している。そのような認識がされても仕方がない。そしてその方向性が見出された存在は、得てして組織内部にいる人達を不幸にしてしまう。

加えるなら、この類の話で問題視される点の一つ、「叱る」(相手の成長を願い、問題点を強く指摘する観点)と「怒る」(相手の間違いを正す云々は二の次で、その事案で自分が欲したストレスを解消するために相手に憤怒のエネルギーをぶつける)について、怒るが選択されているのも問題だな。


そしてこれが重要なのだけど、人は概して、子供は特に、怒られた、怒鳴られたこと自体は深く刻まれるのだけど、なぜそれをされたのか、どうしなければいけなかったのかっては覚えていない。本来ならばむしろ、怒鳴られた原因を覚え、それが繰り返されないようにしなければならないのに、自分が受けた傷みばかりが残ってしまう。結果として、同じ失態は繰り返されるし、さらには怒られた対象への忌避感は強くなる。

まぁこれはサッカークラブの運営に限った話ではないのだろうけど。そして、だからといってまったく怒らなければ良いというものでもないたのだろうけれど。大人が「子供のため」として行っていることが、いつの間にか大人自身のためのものとなってしまい、子供にとっては苦痛でしかなくなっている状況だとしたら、悲劇でしかない気がする。

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このページは、不破雷蔵が2015年7月21日 06:52に書いた記事です。

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