「なんかすごそうだから」というだけで物事をすべて放り投げても解決するわけじゃない

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これは単にビッグデータやら人工知能やらに限った話では無く、昔から、分かりやすい例なら「ホームページ」や「ソーシャルメディア」でも言える話。詳しい意味はよく分からないけれど世間一般にも良く知られるようになった、耳に入るようになった、なんだかすごそうな技術的用語をもとに、それを使えば人類の全ての問題が解決するかのような錯覚、あるいは無敵の魔法のような誤認をしてしまい、それに注力してしまう。

確かにそのような言葉を使えば、営業方面ではアピールがしやすくなるし、何か失敗したとしても、まだこの技術は発展途上にあるものだから云々、あるいは最先端過ぎて使いこなすのは困難だったのかもと、ある程度の責任を回避することができる。

でも本当に重要なのは営業で有利になることとか、失敗した時の責任回避をする材料作りじゃなくて、成功に導くこと。元々新しい技術にしても、本当は物事の成功率を挙げて、これまではできなかったことをできるようにするためのはず、なのだけど。

方法論と目的の取り違え。これをしでかしてしまうことは結構多い。ビッグデータにしても人工知能にしても、使いこなせるような分野が対象で、それに費用対効果の上で相応のリターンが見込める対象ならば使う価値は十分にあるのだろうけど、例えば三分間の計測ができる砂時計を作る時に、ビッグデータや人工知能は必要ないはず。既存の手法で十分以上に解決できることは、その手法でとけばよい。新技術を使いこなすための練習ならともかく、ね。


この指摘は一理あるのかもなぁ、という感は否めない。意思決定機関のレベルで、その類の認識が行われていると、多分に悲劇が起きる。

また新しい技術が生まれた、世間に広まり出すと、本当によく熟知をしていて効率面などで適切なアドバイスをしてくれる職人的な人もいるのだけど、同様に技術を悪用して適当なことを述べるコンサルの類が沸いてくるのも問題の一つかな。ウェブサイト構築や検索エンジン対策周りでは、その類の話が山ほど沸いてくるので、その実態はよくわかったりする。

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このページは、不破雷蔵が2015年7月21日 06:34に書いた記事です。

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