からだも心も負荷をかけすぎると「あぶない」の信号を出してくる

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品物をぎゅうぎゅうに詰めた紙袋が、少しずつ破れながらも広げられ、その破れた部分をテープで貼り、それを繰り返して容積を大きくしていく。人のからだや心、技能に関する習練と成長は、大体そんな感じで表現されることがある。ある程度の負荷は成長のエネルギーであり、負荷をかけなければ成長しない。それはまったく否定の出来ない事実。

ただし一方で、明らかに成長のためのエネルギーとなる部分を超える無茶をしたり、そのグレーゾーン的な部分を超えた負荷をかけると、当然からだも心もオーバーフローを起こしてしまう。機械ならば強制終了したり、警告音が発せられるなどで知らせてくれるけれど、人間のからだや心にはそのような機能は無い。突然物理的に壊れるか、心が折れてしまう。色々と一気に詰め込まれて頭の中が真っ白になってしまった経験を持つ人は多いはず。

成長を望んで負荷をかけるのはいいけれど、さじ加減を間違えるとあっという間に境界線を超え、自分自身を傷みつけるばかりとなる。心の場合は「あ、これいつもの自分と違う」って瞬間を覚えたり、文章を読み返すと首を傾げるようなことを書き連ねていたりする。身体の場合はあちこちで異常な反応を示すようになる。くしゃみが止まらなくなる、めまいがする、目がかすむ、異様な倦怠感がする、空腹感を覚えない、腹痛がする......。

そんな時は無理をせず、いつものペースの、負荷がかからない、いやむしろいつもよりゆったりとした時間を過ごすよう、負荷を覚えないようなペースの行動を心がけたい。一度過度の負荷で変調をきたすと、その状態から復帰するのには、大きなリソースが必要になる。過度の負荷で得られた生成物、成果と、状態復帰のために必要となるリソースを比べたら、大体後者の方が大きくなってしまう。例えるなら、300円の電車賃を使って、100円引きの卵を買いに行くようなものだ。

当り前の話ではあるのだけど、つい忘れて無理をしてしまうこと、結構あるよね。思いっきり自戒の意味も込めて。

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このページは、不破雷蔵が2015年6月10日 07:08に書いた記事です。

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