閉ざされた子供の生活社会に広まるガセネタ、後日談

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先日の【そうか、子供って「閉じられた社会」で情報のやり取りをしてるからガセネタも広まりやすいのか】の後日談的な話。子供の認識生活社会が比較的狭い、閉じられた場にあることから、ガセネタの類も容易に集約されやすい、まぁ言葉は悪いけれど蠱毒的なものになるって話はよく分かるし、実態を思い返してみれば容易に理解できるものなんだけど、その元ネタになったガセネタに対し、かみつきをしてくる方々がおられたらしい。なにをそこまでムキになっているのか、否定された位で全人格を消されるわけでもないのに、とは思うのだけど。

まぁ、デマを肯定する側にしてみれば、否定されること自身がデマのようなもので、その周知はよろしくない状況であるとの認識があるのだろうな。数理的、合理的、公的データを持ち出して説明しても、陰謀論なりよくわからない方面のトンデモ説を持ち出して否定するようなパターンによく似ている。


確かに世の中には100%確実に事実であるってのはなかなか見出しにくい。今件の事例でも本当に指摘されているガセネタの内容が一部は事実かもしれないし、何だかよくわからない、一般人には認識できない悪の意識の集合体による巧みな工作の結果かもしれない。世界支配層の陰謀かもしれない。

しかしそれは確率論的に考えれば、それが「事実かも」という可能性のレベルですら随分と低いもので、無視しても構わない範囲のもの。それをわざわざ持ち上げて、肯定し、周知認識させることにどれだけの意味があるのか。あるいはそうさせる意図こそが、陰謀なのかもしれない。そこまで考えれば、いかに不毛なことかは理解できるはず。もし動かぬ証拠を呈する事が出来れば、それが裏付け出来れば、その時に思いっきり、フルスロットルで必要な措置を取れば良いまでの話。

その点では今件指摘の通り、解釈の時点で憶測が多分に混じり、そんな考え方もあるよね、レベルのものだから。考察としては興味深いけれど、それを事実として認識するのはどうなんだろうか。そして段々と話が飛躍して、確定情報に登っていくプロセスは、まさに大人社会におけるデマの形成過程と何ら変わりはない。むしろ子供だからこそ、その過程が非常にシンプルな形で見えている。

結局のところ、論理の飛躍、その際の無理な軌道修正、あるいは結論ありきでの無理な背伸びの連続で一つの事実のような虚報を生み出す仕組みを説明し、それは良いことなのだろうか、いやそんなはずは無いよね、ましてやそこから生み出される義侠心的なものも、その軸となるものが危ういのだから、踊らされているだけ、単なる暴走行為でしかなくなってしまう。

一番の肝はやっぱり最初に語られている「他人の憶測で疑惑を補強するな」「悪魔の証明を求めるな」「自分で悪を裁こうとするな」かなぁ。某弁護士先生にずばりと当てはまるような感もあるし、多分の自戒も覚えながら。

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このページは、不破雷蔵が2015年5月29日 07:18に書いた記事です。

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