昔は「他に見る手段が無いから」の特別感、今は「自分ですぐに見られるから」でありきたりな話

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先日の【写真の引用許可と口止めを公開で行う番組公式アカウント、そこから感じるテレビ(の中の人の)の劣化】に係わるレスポンス的な話。指摘の通り昔はテレビ番組で「さんまのからくりテレビ」に限らず、結構この手法が用いられていた。ごく一部で海外系のニュースで伝えられた映像が使われたこともあったけど、多くは初めて見る、なんだか面白い別世界の映像で、まさに「他では見る事が出来ない、レアな経験が出来るコンテンツ」として注目を集めていた。番組参加者の驚きや変なリアクションも、視聴者に一体感を覚えさせてくれた。

これって結局、情報の発信の観点でも同じなんだよね。昔は情報発信をするために用意する情報コンテンツの製作自身も、発信する手段も希少だったからこそ価値があった。

「珍しいからウケる」ってのは、昨今の音楽での「ミリオンが出ない」っのにも通じるものがあるような気もする。手元の音源端末、例えばiPodやスマホに似たような聴き心地の音源が山ほどある。ダウンロードした音源は次から次へとライブラリにぶち込めるからね。「特別」じゃないから、新しい曲のラインアップに目が留まっても、魅力を感じない。

一方で好きなドラマ、アニメの曲なら、「特別」な価値がプラスされる。あのドラマの曲、あのアニメの曲ってのは、雰囲気が他の曲と似ていても、特別感がある。だから聴きたくなる≒買いたくなる。例の紐だって、単なる青い紐じゃなくて「あのアニメの神様の紐」だから、それを知っている一部の人に受けた。

昔も今もマーケ方法は変わらない。環境が、モノの見方が変わっているだけ。そう考えると、それほど難しい話でもないような気がするのだけどね。

で、閑話休題。似たような考え方として。


......という話があるのだけど。これも結局、ツイッターを使っていない人、デジタルの界隈にあまり興味関心を覚えない人には珍しい情報になるのだろう。ツイッターの話をアナログのテレビ番組へコンバートするのだから、発想としては「さんまのからくりテレビ」と何ら変わる所は無い。ただ問題なのは、レアというのが前提の情報が、十分以上に浸透しているレベルのものであるということ。見方を変えれば、なおレアだと認識できる層......例えば高齢層向けなのかなあ、と思ってみたりもする。あるいはテレビという媒体に登場させることでネタ的にいじってほしい、それも含めて露出手段として考えているか。

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このページは、不破雷蔵が2015年5月 4日 08:44に書いた記事です。

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