運動が出来る=偉い、勉強が出来る=いけ好かない奴的な構図を改善するには、そしていつから??

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先日の【勉強が出来るといじめられる事案、そして改善策を模索すると......】の話、後日談。どうやら同じようなことを想っている人、実体験した人などが結構いるようで、色々な話をいただくことができた。スポーツが出来る人がちやほやされるだけでなく、そのちやほや感を受けた上で失敗したら責められた的な話もあり、世の中すべて上手くいくとは限らないのだなという無常さを覚えたものもあったけど(これもまた「損得勘定で動いている」ことの表れでもあるね)。

考え直してみれば確かに、勉強面での競技ってのは、よくて成績発表の類だけ。しかもある程度学校等級が上でないと行われない。勉強系のコンテストやコンクールってのは、部活動ベースで無いと探すのは難しい。学校は勉強をする場所、勉強第一......だからこそ、「当たり前のことをするのに、わざわざ仕組みを設ける必要はない」という判断なのか、あるいは差が出ると平等感云々とかいじめがかんぬんとかいう話なのかな。

でもそれってスポーツでも、その他の行動でも同じだよね。むしろそこで人には差が出るのは当たり前。その上で違いを認識し、認め、蔑まないってのを教える事こそが大切なんじゃないかな。

そして先入観云々ってのは、やっぱりステレオタイプの切り口で表現する各種媒体が原因なんだろうな。学校が係わるお話って、たいていが勉強が出来る人=いけ好かない、あるいは変な奴だもんなあ。スポーツが出来る人はスマートで潔くて、みたいな。

「単純に、力で、暴力で負ける」。実はこれ、先の記事では意図的に抜いていた。実体験をしたことがあるのでよくわかるのだけど、確かにある。すべてではないけれどね。純粋な体力的、力的関係で、勉強周りがスポーツに駆逐されることは良くある。親の立ち位置とかと似たような物。

やはり自分が恩恵にあずかれるか否かってのは要素として大きいよね。加えていうのなら学校や教師が恩恵にあずかれるか否かも。仮に勉強が良くできてもそのクラス、学校内単位であり、そこから出ることは無い。また、クラス内や学校内で優秀な成績を収めても、勉強の場合はあまり評価されない。そういや指摘の通り確かに昔は、成績優秀な子供に対しても色々とプレミアム的なものがあったはずなんだけど(昔の社会文化系の資料をさぐると結構出てくる)、いつの間にか無くなっちゃったな。表彰されない子供がかわいそうとか差別とか言う反発があったってのはちらほら聞いているけれど、やはりその辺が関わっている雰囲気は強い。

別にスポーツや芸術の類をディスるわけではなく。学校で学ぶ対象としては勉強も芸術もスポーツも同じ。評価が与えられるか否かで判断すれば、子供が勉強嫌いになるのも仕方がない。誰だってほめられれば嬉しいし、いじめの要因になるとかマイナスの影響があるのなら避けるのは当然の話。人格形成の大切な時期に、そのような環境下におかれるってのはどうなんだろうねえ......。

勉強するのがスポーツをするのと同じ位楽しい。そのような環境を作ることこそが、大人にとって大事なんじゃないかな。

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このページは、不破雷蔵が2015年3月16日 07:36に書いた記事です。

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