「ネットは不確かな情報がやり取りされるから危険」ならテレビのコメンテイターも同じだよね、という話

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これは目に留めた時「はっ」とさせられた話。「トイレの落書き」と評した方がいたように、インターネット上の情報は多種多様な内容が不特定多数に拡散されうる。例えるなら大学ノートの端っこに走り書きした、自分の妄想のお話がクラス全員に知られてしまうどころか、家族の目にまで留まってしまうようなもの。ただしネット上の情報がすべて落書きかというとそうではなく、裏打ちされたもの、正しいプロセス・素材の上で書かれたものもある。要は取得可能な情報の幅が広がり、それだけ外れをつかませられる可能性も増えただけに過ぎない。専門店でのお買い物か、路上フリーマーケットでの買い物か、その違い。

ところが考え直してみれば、確かに指摘の通り、テレビで流されるコメンテイターの話の数々は、不確かなものである場合が多い。あくまでもコメントをするだけだという反論もあり、それは結局性質的にブログの記事に付記されるコメントと同じようなものではあるのだけれど、それがテレビという影響力が極めて大きなメディアによって、しかも識者っぽいという裏付けまでされてしまうので、大きな問題となる。

最近ヤフーなどをはじめ複数のポータル系ニュースサイトでは、読者のコメントをFacebookのコメント機能と連動する形で実装している。Facebookなら実名・それに近いペンネーム登録が原則なので、ヤンチャなことはしないだろうという目論見がある......が実態としてはご承知の通り、罵詈雑言やデマやガセネタ、煽動的なもの、感情論的な話に満ちあふれている。

そう、テレビ番組におけるコメンテイターの語りは多分に、それらのコメントと同じレベルと評することができる。にも関わらずテレビ・識者という権威付けがなされてしまう。仮にFacebookコメントで語られてる内容が、同じように権威付けされたらどうなるか、ちょっと想像すればいかに怖い状況かは容易に理解できるはず。


話の大本は先日の「パソコンが若年層にはあまり使われていない」云々ってところからだけど、こちらも大よそ同じような話にたどりついている。1980年代との指摘はあるけれど、インターネットが本格的な普及を見せ始めたのは今世紀はじめ、携帯電話は2005年前後、スマホは2012年あたりからなので、マスコミ周りはそれぞれの時代変革の部分に大よそ考えが追い付いていない雰囲気がある。

テレビ局側としては「コメンテイターの個人的見解であり、番組や局には直接責任はありません」「だって勝手にしゃべっただけだし、俺らがコントロールするわけにもいかないじゃーん?」的な言い訳を前提としているのだろうけど、放送を行う時点で管理責任はある(これはネット上のソーシャル系ウェブサービスと同じ)。「言論の自由ガー」なら、自由には責任が伴うよね、で終わりでは無いカナ。

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このページは、不破雷蔵が2015年3月 1日 08:05に書いた記事です。

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