ロシアと中国と欧米と......契約や信義則、文化の違いの話

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これはゼロから百まで全部というわけではなく、ケースバイケースの話ではあるのだろうけれど、自分の経験則も合わせて多分に的を射ている話ではあるなあ、ということで、良い機会も合わせて、覚え書き。要は(紙の)契約書をどれだけ重要視するか、責任の所在の文化的な違いとか。人治主義とかも関係してくるのかな。日本だと特に責任に関する所在に重点が置かれていて、とりわけその責任が色々と振り回され武器にされてしまうので、極力回避するという姿勢があるような気がする。


中国の場合も建前とか威厳とか権威とか見栄を大いに強調する傾向があり、その点は「紳士と紳士の約束」と同じであるはずなんだけど、自己の欲の方に天秤が傾いてしまうのか、どうも同じようにはいかず、最初に挙げたような話になってしまいがち。自分が中心でないと許せない、他人のレールの上では絶対に走りたくない、本当の意味での「我がまま(自分が思うままに)」が強いんだろうな、という感はある。それをビジネスなどの上でやられたら、たまったものではないけれど。

そもそも契約を交わし、文面として残すのは、互いの意志における齟齬のリスクを減らし、第三者が客観的に精査するための知恵でもある。それが覆されることが多々あるのなら、信頼に足る材料か担保となる保険的なものが無い限り、多大なリスクのもとで行動することを余儀なくされる。文化が違うから、風習の相違があるから、歴史上そうなっているから。それはそれで事実として認めた上で、判断選択の際の考察材料としなきゃいけないんだろうな。

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このページは、不破雷蔵が2015年2月28日 08:09に書いた記事です。

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