ちょっと不幸だと見下して、かなり不幸だと同情するのはなんでだろう

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概念論の一つであって実際にはケースバイケースのところが多いんだろうけど、多分に「ああ、確かに言われてみればそんなことが多い気がする」と納得させられた話。自分を基準点としてそれと比べてちょっとした不幸な状態にある人には冷淡に接して見下す場合が多いけれど、極端に不幸な人の場合は同情したり手を差し伸べたり、少なくとも優しく接する場合が多々ある。まったくの自業自得で自己責任に過ぎない事例でも、極端な不幸の状態にある人には優しくしてしまう。

色々な解説・解釈ができるし、実際には複数要素による結果・傾向なのだろうけれど、その一つとして考えられるのが、対象における自分の立場との距離の問題。一段不幸な人の場合、すぐに自分と同じ立場に登って来られるかもしれない。自分が手を差し伸べて助力すると、自分自身と同じ位置につく、さらには自分を追い越してしまう可能性がある。その理不尽さが内心的にあるのかもしれない。また、近親憎悪的なモノを感じ、自分の姿をそこに投影してしまうのだろう。

他方、二段階以上相手が不幸だと、自分の立ち位置まで登ってくることは難しい。手を差し伸べても自分の邪魔になることは無い。そこで安心して善意を前面に出すことが出来る。

もちろんAll or Nothingではなく、どのような場合でも「近親憎悪」「自分の敵、邪魔になる者を自分が手助けする理不尽さ」と「善意」「あわれみ」「同情」という、2方向の想いは浮かんでくる。そのベクトルの強さが、自分より一段階の差しかない不幸な人には前者の方が強く、二段階以上になると後者の方が強くなるのではないかな。そう考えると、人間の善意の露呈というのも、結構計算づくということになる。


この事例も結構すっきりさせられる。確かによくありそうなパターンだな。

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このページは、不破雷蔵が2015年2月28日 06:24に書いた記事です。

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