「偽善者ぶる」ということばに思わず震える

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偽善とは善っぽいけれど完全に善では無い、多分に内面にはネガティブな様相を呈している事を指す。つまり行為そのものは良いこと、でもその動機や理由には何か善意では無いたくらみがあることを意味する。

ただこれも一概に「完全に善意で無ければその行為はすべて偽善だ」として叩くのもおかしな話。例えば食糧援助をする際に、寄贈をした企業の名前をパッケージに貼りつけたり、寄贈をしたことを公知した場合、「宣伝行為に使っただけだろ」と指摘を受け、偽善行為だと非難される事例がある。

他方、人の行為は得てして何らかの利益を得るためのものだから、偽善で無い善の行為ってなんだろう、ということになる(良いことをしたいとの思いだけで行った行為も、「良いことをしたいと思う自分の良心」を充足するための欲求だからね)。また、偽善にしても善の行為には違いないので、悪の行為や行為そのものを成さないよりは遥かにマシとの考え方もできる。

結果として、非難目的として「偽善者」との言葉が使われる場合は、悪い思惑を持った上で善意的な行為をしている、あるいはそのように見える事を意味する。例えばお年寄りの荷物を代わりに持ってあげようとしたら、「いいこぶって、偽善者め」的なツッコミが成された場合、「あいつは周囲から良い子に見てもらいたくて、荷物持ちを手伝っているに違いない。善意から手伝っているのでは決して無い」と考えていることになる。

ところが今件では、「偽善者」の時点ですでに「善者のふりをしている。行為は善だけど心のうちは悪だ」を意味しているのに、さらにそこに「~のふりをする」を意味する「ぶる」がついてしまっている。指摘の通り、「偽善者ぶる」は偽善者のふりをする、つまり善人であることを意味する。裏面の裏面は表面。それを「偽善者」=「善人ぶる」として「偽善者ぶる」=「善人ぶるぶる」と表現していることになる。

......あれ? と、なると「偽善者ぶるな」ってのは(善人は震えるなってのはともかく)「善人になるな」ってことを意味するのか? つまり「悪人になれ」ということか。ヤベェ、ショッカーか何かの勧誘かもしれない(全然違う)。

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このページは、不破雷蔵が2015年2月10日 07:50に書いた記事です。

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