賛否両論・珠玉混合・多様性はいいけれど、最初から妙なものを混ぜて良いことにはならない

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多様性はとても大切。何らかの物差しではかった際に一方向のみのベクトルにまとめてしまうと、段々と集束し、先鋭化され、結果として閉じたものが出来てしまう。生物の進化と同じで、一方向のみへの歩みは、状況の変化に対応できなくなる。変化が起きなければ無駄扱いされがちなんだけどね。

で、ウェブの世界ではハードルを低く設定できることから、コンテンツ投稿・収集型の情報提供サービスでも、多様な意見を取り入れて掲載するってスタイルが流行。漫画雑誌なら雑誌の色に合わせたような連載を取りそろえるよりは、青春漫画、スポーツ漫画、劇画調の時代劇漫画、オチャラケ漫画、社会風刺漫画、レポ漫画などなど、統一性に欠けているようなごった煮状態。一応最低限の枠組みは設けてあるけれど。

ただ、その枠組みの設定の際に、とにかく多様性云々ってのを優先して、真偽性の上で疑わしい、さらにはいかがわしいものを加えてしまうのは、多様性への配慮とは別だと思うのだな。上の例えにある通り、和洋中の惣菜を織り交ぜた幕の内弁当と、消費期限切れの素材やら泥団子まで入れたお弁当は、多様性の観点では同じだけれど、人に出せるお弁当か否かの点ではまったくの別物。


この話のきっかけは上の通り、某「境界線無し」を掲げる媒体のコンテンツに関してツッコミ(賛否を問わず)を入れている人のほとんどが、その媒体自身ではなく、コンテンツが転送された超大手ポータルの権威を前提に意見を述べていたこと。つまり「ここに載っていたのだからある程度の信頼性は担保されているはずだ」という前提が、多くの読者に不文律として浸透してしまい、それが一層の状況における混乱を導いてしまっている。

指摘の通り、以前「やらかしたこと」を明記して読者に分からせればいいのだけれど、そこまでやる人は滅多に居ない。ちょっとでも首を傾げるものがあったら、すぐに媒体名なり筆者名を検索して、ログを、過去の経歴をチェックしようと繰り返し推しているのは、これが理由。

さらに多くの場合、その実態や過去の履歴を検索され、その状況や傾向が今現在まで連なるものであることがバレるとマズイところほど、その部分を隠し、権威を悪用したがるというもの。

まずは「多様性」を掲げるところには、その「多様性」の個性や長所が十分発揮されるよう、十分な事前精査、そして逐次内部の再精査をして振り分けを望みたいところ。そして読み手側も「ああ、この媒体は以前やらかしたからチェックが必要」「この人、以前も首を傾げる話をしていたけれど、本当にこの肩書に値する語りや考えの人なのかな」という疑問を持ち、調べる癖をつけるようにしたいところ。

......まぁ、面倒くさいのは確かなんだけれどね。

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このページは、不破雷蔵が2015年2月 8日 06:33に書いた記事です。

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