ツイッターのフォロワー数とウェブの記事のアクセス数と「評価」と

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ツイッター上のフォロワー数ってのは、自分のツイート(書込み)を逐次取得して読んでくれている人。いわば新聞購読者みたいなもの。その数が多い程、自分のツイートをチェックしている人が多いわけで、アイドルのファン数とか単行本の販売冊数に例える人もいる。ただツイートってのは無料でチェックできるし、当方のようにニュース取得同様に考えて極力読み逃しの無いようにしている人もいるけれど、多分に読み流しの対象でしかなく、例えるならば「電車の中から目に留める程度の、線路脇の看板」的なものとの認識。フォローしている人が数百人とか数千人いる人が、逐一自分のタイムライン上のツイートを読み通しているはずがない(稀にはいるだろうけど)。

で、そのフォロワー数に関して定期的に持ち上がるのがこの類の話。ただ今回はちょいと興味深い方向に話が進んでいる。要は「特定の個性を持ったキャラになり切れば良い」というもの。成り切りキャラとかbotの類がまさにそれで、ああ、だからその類のアカウントって人気があるのか、盗用型アカウントのフォロワー数が多いのもそれが理由か、と理解できる。要は雑貨店よりも専門店たれ、ということだな。いや、フォロワーを増やすことを目的とするのなら、の話だけど。


数量化は一つの物差しではあるのだけど、その物差しで測ると他の部分がはかれないというのは世の中の道理で、特にウェブ周りにおいてはページビューがその物差しにされやすい。しかも金銭的に直接結びつくものでもあるから、イエロージャーナリズムに走りやすい。そして検索エンジンですらそれを助長する傾向にある(「需要があるから」「アクセスされているから」「人気が出てるから」というおためごかしなんだろうけど)。

先日も別記事で触れたけど、かつて4マスに籍をおいていた人たちによる、ウェブ上でのニュース的な記事配信(個人のブログでは無く、ニュースポータル系サイトへの記事投稿という形での形成ニュース)で、その類の記事をしばしば見受けるようになった。で、当然ページビューが稼げるので、ますますそれに気をよくする形で、一層センセーショナルな書かれ方がなされてしまう。内容はますますスカスカになる。まるで前世紀末から今世紀初頭に流行った、文字のサイズを大きく変えたりする記事のようなもの。内容が伴えばいいんだけどね。そうでないから。。。

また、上にもある通り、電子媒体では概して労力が軽く見られる傾向があるのも問題、というかそれがあるから、より簡単に「評価」が稼げるタイプの書式が好まれるのだろうな。

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このページは、不破雷蔵が2015年1月 4日 08:06に書いた記事です。

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