「お説教広告」とは言い得て妙...受け手に自分の意志を強要させる広告は業界衰退のシグナル

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いまとなっては顧客にとってメリットが目減りしてしまった商品やサービス。顧客に「これを買うとこんないいことがありますよ」と訴求することができなくなってきたら、道徳や教養や伝統という実態のない概念を持ち出したくなってしまい、ついついお説教じみてしまうのかもしれない。しかもかつては栄華を極め、殿様気分が抜けていなければなおのことであるが、顧客を不快な気持ちにしてしまったら元も子もない。

本文そのものはフリーペーパーの巻末に位置していることが多いコラムニスト的な人が書き連ねる随筆みたいな感じで読んでも頭に残らないスナック感覚的な内容だから、それはあまり深く考えなくても良いとして。上の引用部分と「お説教広告」という表現には非常に納得のいくものがあり、ノミで脳に直接刻まれたような感覚を覚えることができた。「お説教広告」。うん、この言い回し、最高。

で、要は「受け手にお説教をするようなコピーを用いたり、要求し始めたら、その業界はかなり焦っている、斜陽状況にある」というもの。見方をかえると、そのような強引さの切り口を使わないと訴求・集客出来ないような状況にある次第(もっとも単に、広告を手掛けた人の腕前がアレだったという場合もあるのだけど)。

確かにこれは言い得て妙。「良いものは黙っていても売れる。無理に喧伝する必要は無い」ってのは賛否両論で、良いモノでも周知されなければ世には広まらないので、ある程度の仕掛けや公知は欠かせない。ウェブ上のコンテンツも然りで、多様な方面でその存在を知ってもらえるような機会を増やすのが必要となる。種をあちこちにばら撒く、ポスターをいたるところに貼る、みたいなもの。

でも、それをやっても振り向かなくなったら、絶対的あるいは相対的に価値が減退してきたら、より目立つことをしなきゃならなくなる。大きな声を挙げたり、目立つ格好をしてみたり。それでもダメなら「これを手にしなきゃダメだよ」という危機感を煽らせる、お説教をしてでも引っ張り込まなきゃならなくなる。......まぁあれだ。例えは悪いけど、繁華街の強引な客引きみたいなもんだ。「シャッチョサン、エライならウチみたいなリッチでゴージャスなオミセで遊ばなきゃダメダメ」的な。


方向性はちょっと異なるけど、この「テレビ内での不必要なまでのテロップ」もまた同様。本来なら分かりやすいようにとの意図から始まったもののはずなんだけど、いつの間にか作り手の意図を強要させるような、ガイドラインだらけの仕様となってしまった。小説の文中に1ページあたり何か所も吹き出しで「ここ、笑うところ」「この部分は涙を流しながら読むべし」なんて書いてあったら、書庫の奥底に封印すること確実に違いない。

確かにお説教をするなり、強引に誘導させた方が、作り手側としては創りやすいのだろうし、クライアントへの説明もしやすくなるのかもしれないけど、読み手、受け取り手の心境を考えれば、それは多分にマイナスのものとなるってのは、分かってるのかな。あるいは「消費者は皆愚民だから、こちらの思惑に従って考え、行動してくれるさ」という程度のものなのかしら。

......この手法ってちょいと見方を変えると、昨今の噂や煽動話でも使われてるんだよな。「海外なら常識だよ?」「あの知識人が語ってるよ?」「世界の中の日本を自負するならこうしなきゃね」みたいな。

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このページは、不破雷蔵が2015年1月 4日 08:25に書いた記事です。

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