新聞社の社説は「チラシの裏」より酷いのか

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どうやら大手新聞社には「社説」のコーナーを「何を好き勝手に書いても良い、自由帳」「言論の自由奔放、フリーダムエリア」的なものとしてとらえている雰囲気が強い。「社説」っていうからには会社の論説であり、それは会社、その新聞全体を代表する意見であり、いわばその新聞社の看板的なもの、イメージキャラクタのような立場にあるのだけれどね。

先日の朝日新聞の社説では、選挙直前ということもあり、そのフリーダムさに拍車がかかっていた。まさに「お前は何を言ってるんだ」的なもの。

まぁ実情としては新聞社の中で年配のスタッフがその想いを自由に書き連ね、問題があるようなものでも、その肩書、重鎮度から、誰も手を出せないところもあるのだろうけど、それは理由にならないよね。理由になるからこそ、先の吉田調書や吉田証言問題のようなことが起きるのかもしれないけど。

指摘もあって、2009年夏の総選挙翌日の社説を確認したところ


まぁ、言ってることが180度逆。先日のは「数が民意とは限らない」で、2009年は「数の結果が民意である。受け止めよ」。どちらだよ(笑)。で、挙句の果てに本日の社説では【自公大勝で政権継続―分断を埋める「この道」に】にもある通り、今話題のトリクルダウン理論の否定まで持ち出している始末。


ツッコミ所が山ほどあれど、この調子でツッコミ入れてたらリソースの無駄としか思えなくなってきた。

これが「文化」だというのなら、そんな文化など熱湯消毒の上、廃棄処分した方がマシかな。

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このページは、不破雷蔵が2014年12月15日 07:33に書いた記事です。

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