本人と接触していないと忘れてしまう女の子の話「そばにいたい」と、どこかで見たような感と

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具体的には森井暁正先生の「そばにいたい」。少々荒削りではあるけれどやるせない思いでいっぱいになるストーリーに、何だか引き込まれるような思い。それと同時に「どこかで見聞きしたことがあるような設定だな......」という認識があったのは否めない。いや、どこかで見たような。何かのゲームのコミカライズかな? 駅のホームで座っていた、手帳を使っている女の子が出てきたような。

ということで聞いてみたところ、色々な話があったことが判明する。


最近の作品としては「一週間フレンズ。」、昔の作品ならば「ef」(の新藤千尋嬢)。色々とその後も調べてみた所、当方が見た記憶があるってのはどうやら後者で、電撃大王か何かのコミカライズ作品で読んだのだと思う。記憶に残っている内容と、ストーリーの概要がほぼ一致している。

で、この前向性健忘症(やその類)について、


などで指摘されている通り、単なる仮想上の病症では無く、老化以外に薬の副作用やショックを受けた時の影響で生じ得るという話もある(「メメント」という映画もある。2000年に公開された映画のようだ。10分しか記憶を維持できないという主人公によるもの。ちょっと興味を覚えさせる)。実際、人の記憶ってのは解明できていない部分があまりにも多く、なぜそういうことが起きうるのか、仕組みが分からない状態だから、どのような状況・病状があっても不思議では無い。

同時に記憶って、人(......に限らずだけど)にとっては、非常に重要な要素ではある。目に見えるものではなく、つかみ取れるものでもないけれど、それが無くなると物理的なモノを無くした以上の喪失感を覚えさせられることもある。それどころか、過去の事象そのものが、その人からは無かったこと、存在しなかったことになる。本人自身も、そして消えた記憶の対象となった人にも、悲しい事に違いは無い。その無常さ、切なさ、やりきれなさを覚えたので、「そばにいたい」にも何か特別なものを感じたのかもしれないな。

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このページは、不破雷蔵が2014年11月10日 08:27に書いた記事です。

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