【更新】街道が物語る先人の知恵・津波は「街道手前で」止まっていた現実

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[東日本大震災:先人は知っていた 「歴史街道」浸水せず]



東日本大震災に伴う津波で大きな被害を受けた仙台平野で、浸水域の先端が、江戸時代の街道と宿場町の手前に沿って止まっていることが、東北大の平川新教授(江戸時代史)の調査で確認された。仙台平野は400~500年おきに大津波に見舞われており、街道は過去の浸水域を避けて整備された可能性が高いという。平川教授は「先人は災害の歴史に極めて謙虚だった」と話し、今後の復旧計画にも教訓を生かすべきだと提言する。

国土地理院が作製した東日本大震災の浸水図に、平野を縦断する奥州街道と浜街道を重ねたところ、道筋の大部分と宿場町が浸水域の先端部からわずかに外れていたことが分かった。


どのような素材を使えばよいかは元記事に記されているので、時間があれば他の地域も合わせ東北・太平洋側全般について検証をしてみたい気もする(GoogleMapあたりでやると良いのかもしれない)。「歴史防災学」みたいな感じで、学術研究の対象になるんじゃないかと思うな、これ(要石の配し方とか、【地震とナマズと抑える人々、そして要石...昔からの戦い】で紹介した民間伝承とあわせれば、立派な学術体系ができるはず)。

あるいは当時の資料をたどれば、街道がこのような形で配された理由の記述も見つかるかもしれないなあ......。単に「そのころは、津波が押し寄せた地域まで海だった」というオチは、ないよね?(汗)

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このページは、不破雷蔵が2011年4月21日 07:13に書いた記事です。

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