他人に向けた言葉は自己紹介と同じ

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ソーシャルメディアの利用ハードルの低さもあり、他人との意思疎通、アプローチが非常に容易になったことから、コミュニケーションの際の礼儀作法というかマナーというか常識というものが、あまり認識されなくなっている感はある(無論、例のマナー講師のような無茶苦茶な話を主張するわけではない)。冷静になって考えればすぐに理解はできると思うのだけど、自分とあまりどころか全く面識がない人に対し、突然フランクな、さらには乱暴な言い回しで語りかけたら、相手はどんな印象を抱くだろうか。街中で突然見知らぬ人から「ザッケンナーゴルァ!」とドヤされたら、おびえるか怖くて逃げだすか、警察を呼ぶだろう。少なくともまともな人であるとの認識はできるはずがない。

ところがソーシャルメディアだと、その「ザッケンナーゴルァ!」を平気でやらかす人が少なからずいる。当人がその認識を持ってすらいない可能性も多々ある。かわいそうではあるけど、そのような人は多分に、まともな考えができないレベルになってしまっているのだろう。これは特定の相手に向ける言葉だけでなく、不特定多数の目に触れる可能性がある、そのような意図で発せられた言葉でも同じこと。

指摘もされている、例の「保育園落ちた日本死ね」一つとっても、マスコミや関連業界人の少なからずは「正しいことを言っているんだから問題ない」「アピールするためには強い言葉が必要だから許される」的な擁護肯定をしていたけど、詭弁でしかないというのが当方の感想だった。それって子供に暴力をふるった親が「しつけだから仕方がない」と自己弁護するのとどれほどの違いがあるのだろうか。

いずれにせよ、不特定多数の目に触れることが前提の言葉には、発した人の本質が現れる。発する側はもちろん、受け止める側も、それを自覚しなきゃならない。そう難しい話ではないはずなんだけどな。

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このページは、不破雷蔵が2020年7月15日 07:39に書いた記事です。

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