公共の電波を使うテレビや公的サポートを受けている新聞に「見なければよい」は通用しない

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社会を惑わしたり明らかに間違っている情報を事実であるかのようにたれ流す状態が続いているテレビや新聞に対し、嫌ならば見なければ、読まなければいいという反論がある。よりによって発信するテレビサイド側からもこの類の話が出て物議をかもしたこともあったよな、と。

それって指摘されている通り、嫌な人は見るなという問題ではなく、有害な情報が広まり、それが巡り巡って社会に大きな悪影響を与えるから問題なんだよね。加え、指摘はされていないけどテレビや新聞発の情報は、それ自身が「正しい一次ソースとしての情報」という形で悪用されるケースが多々ある。テレビがやっていたから間違いない、正しいものだとして武器に使う筋が多々ある。これもまた弊害。

例えるならば、水道に毒が混入されていたとして「嫌なら水道水を飲むな」と言われるようなもの。自分は飲まなくても他の人が飲んで倒れてしまい、社会に悪影響が生じるようになる。そういう状況が肯定されるのか、ということ。

百歩譲って個人誌とか商業誌とかならその類のものも許されるかもしれない(他の観点でダメ出しされることは当然あるけど)。けれどテレビは公共の電波を借りているわけだし、新聞は多分に公的な保護を受けている(軽減税率とか再販売価格維持制度とか)。要は、社会的に公的な部分(存在そのものは社会の存続維持にとって重要なものとの認識)があり、それを維持できるようにさまざまな特権を公に認めている。要は社会的責務を果たすために相応の対価報酬としての保護なり特権が存在するわけだ。

そのような立場にありながら、実体として社会に害を成している、しかもそれを是正しようとしない状況というのは、色々と問題があるよね、という話に他ならない。義務も果たさず権利ばかりを濫用することに、どこまでの存在意義があるのだろうか。

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このページは、不破雷蔵が2020年7月11日 07:51に書いた記事です。

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