報道の意義と現場主義の本質と

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例の隔離状態にあるクルーズ船の件。テレビや新聞などでは必死に悲観的地獄絵図のような状態で、それこそバイオハザードのラクーンシティみたいな状況すら想像できる伝え方だったんだけど、一方で中の人というか実際にいる人達がネットを使ってもりもり実情を伝えているのを見るに、なんか世界線が食い違っているよね、という感を覚えさせる。

無論、色々な「考え」を持つ方もいて、必死にヤバいよヤバいよと芸人さんのような語りを続けているケースもあって、そういうのは報道がめちゃくちゃスポットライトを当てているけど、時系列的にずらりと並べると違和感を覚えたりとか、発信者の実情を探られて納得させられてしまうとか。

当然、ゼロかイチでしかないってことはないので、まったく整然としているとも、混乱の極みにあるともいえないのだけど、報道が伝えている内容と実情との間で、これまで大きな差が生じているのがリアルタイムで把握できるのも珍しい機会だな、というのが正直な感想。

ウケ狙いや報道側の核心的利益のために事実をよじ曲げて偏向して伝え印象付けさせるのなら、それは報道ではなく単なる機関紙によるプロパガンダでしかない。あるいは創作物語。そしてそのような社会的責務を放棄した存在に、そのために与えられている特権を使う権利は無い。

事実を正しく民衆に伝え広める社会的責務を果たすのだから、公共のインフラたる電波を安く使わせてあげますよ、取材などでも色々と便宜を図りますよ、軽減税率を適用しますよ、ということなのだけれどね。

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このページは、不破雷蔵が2020年2月15日 07:43に書いた記事です。

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