高齢者が新技術を敬遠する理由と、それが許されない現代社会

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これはインターネット関連の調査結果に絡んだ記事で何度となく説明していることではあるのだけど。新しい技術を習得するのにはそれなりの時間と手間がかかる。そして技術は詰まる所、日常生活を支えるツールでしかないことから、その日常生活が維持できる、明らかにより便利になってデメリットも少なくて済むのでなければ、習得しなくてもいいじゃないかという選択肢を選ぶのも理解はできる。極論として習得に10年かかる技術を使っても、生活がほんのちょっぴりとしか豊かになりそうにないのなら、わざわざ苦労して覚える必要は無いよね、というもの。ちょっと方向性は違うけど、都心部で住む人においては自動車免許証そのものを習得していない割合が高いってのと同じ。自動車運転ができなくても別に困らないから、わざわざお金と時間をかけて取る必要は無いよね、という感じ。

しかしながらインターネットやパソコン、スマホなどのIT技術とそれに絡んだ現代社会においては、その浸透度というか変化度合いがこれまでの社会生活の常識とは異なるスピード感で走っている。引用されている話ならば、勉強しない高齢者はパソコンやインターネットの技術もこれまでのあれこれと同様、日常生活に欠かせない存在となるのには50年とか100年ぐらいかかるから、自分には関係無いという認識だったのだろう。

けれど現実問題としては5年、10年の単位でがらりと世の中は変わり、浸透普及してしまった。周辺環境もそれに連動する形で変化を見せ、新しい技術を使わなくても済む、従来の環境が無くなってしまい、にっちもさっちも行かなくなってしまう。

「変わってしまう」「おいていかれてしまう」という危機感という表現はいい得て妙。これはどのような場面、技術、立場の人でもいえること。例えが変かもしれないけど、世の中の技術の進歩は駅とか空港にあるような移動通路に乗っているようなもの。通路を使わなくても自分で歩いていけばいいじゃないかと思うのはよく分かるけど、昔と違って今の移動通路はやたらと高速になっているので、今までの感覚で「自分は歩くから」とすると、追いつけなくなり、置いて行かれることになる。

...経団連とか一部企業のトップがスットコな話を疑うことなく主張するのも結局は、この「世の中の流れの加速感」に対応できていないのが原因なんだろう。むしろ自分自身は立ち止まってすらいるのかもしれない。

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このページは、不破雷蔵が2020年1月16日 06:58に書いた記事です。

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