やりたい放題を正当化する「萎縮」という免罪符

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先日の【報道ステーションの世耕大臣への印象操作問題】に絡んだ話で。報道関係者の間からはこういう話が少なからず見受けられる。何が悪いのか分からない、指摘され間違いについて謝罪するとなると委縮してしまう、好き勝手にやらせろと。

「お前は何をいってるんだ」の例のシーンがエグザイル状態で脳内を駆け巡る。

指摘されている通り、新聞社の取締役というそれなりの立場にある存在が、このような発言を堂々と、しかも自分の立場を明確化した上で明らかにするということの重要性が理解できないという点だけでも万死に値するのに。

要は「改ざんする、虚偽報道を行う、印象操作を意図的に行うは当然の話。指摘をして止めさせるなどとんでもない」と報道の立場から言及していることになる。食品をはじめとする民間の企業が商品に対して同じようなことをして、委縮するから云々としてその問題商品の提供を正当化したらどのようなことになるのか、考えた事はあるのだろうか。

やはり特権階級意識で固まっているのだろうな。あるいは狂信的な考えに陥っているのかもしれない。「私達記者は正義、がんばる」のあの精神。

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このページは、不破雷蔵が2019年12月14日 07:27に書いた記事です。

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